2017年1月6日金曜日

もうすぐ52

もう数ヶ月ほどで52歳になるんですが。
半世紀以上生きていると色んな出来事に襲われますよね。
ブログを書くようになってもうかなり経つんですが、実は初期のブログはもう消滅してるんで。
今となっては自分ですら振り返ることが出来ないんですよねー。
あの頃はサーバーを自分で構築して運営することが「主」だったので、Weblogは「おまけ」みたいなもんでしたから。
しかし数年でサーバー運営に飽きてしまって止めちゃいました、そのときに書いていたブログも消えちゃったわけです。
その頃書いていた文章ってたぶんもっと駄文だったはずなので、振り返って読む価値もないんでしょうけど、それでもその当時のボクの感情?感覚って今と大きく違っていて、興味深いかもしれません。

その後はBloggerサービスでブログを書くようになり「書くこと」に主体を置くようになりました。
今の形が出来上がったのはそんなに昔ではアリマセン。
今の形式は「クラウドコンピューティング」になってますが、そんなのってここ5年ぐらいのことで。
それ以前はほぼ全てのデータを自分のHDDに溜め込んで生きてましたからね。
写真や動画も今はぜんぶクラウドコンピューティングで自分のHDD内には残してません。
そんな風になるとある日突然自分が死んでしまったらどうなるんやろ?って思ったりもします。
事実、52年も生きてると同世代で早くも逝ってしまう気の早いのも居ます。💦
まったく、こっちの身にもなれよなぁ、というヤツらなんですが、そういう早い奴らの何人かはクラウドに自分の痕跡を残したまま逝ってますよねぇ。😕
そういうのって30年も前なら「芸能人」ぐらいしかできなかったことなんですよねー。
それが今ではYouTUBE観ればパンピーでも「あのやろう、ニヤニヤしやがって!」という感じで逝ったヤツがいつでも観れますから。😖
良いことなのか?悪いことなのか?考えちゃいます。

自分の人生が終わる時、全てがゼロになれば良いなぁ、と考えるようになりました。
何も残すつもりもないし。
誰の記憶に残るつもりもないわけです。
私のことをいつまでも忘れないで」なんて言うのはワガママなことなんだと思うようにもなりました。
80億人の人間が生きていて、次から次へと「出会い」「別れ」ていく毎日が続くのに。
「忘れないで」なんていう希望は「何て儚いんだ」と思うし無理な注文だと思うのです。

ボクはやりたいことをやりたいようにやって、やり飽きたら、ボーッと隠り、残りの時間はずっと考え事という妄想をして楽しみ生きようと思ってます。
残念ながら今のところやりたいことが多すぎて隠る時間が無いようです。
ただ、ボクが残しているクラウドのデータが閲覧されるかどうか?はこの世に残った人たちの記憶に「ボク」が残っているか?どうか?になるわけで。
偶然、ボクがYouTUBEに映ってた、っていうのは無いんでしょうけど。
(確信してるわけではないですが)

少し前にテレビで「忘れられる権利」というのが取り沙汰された記憶がありますが。
居なくなったヤツらのデジタルデータはいったいどうなるんでしょう?
まぁ、そのデータを蓄積してサービスを提供している運営会社が「永遠」に継続的にサービスしていけるのか?といえばどの会社も危ういもんですけどね。
そういう意味で言えば今のところGoogle、Amazon、Facebookの3強にデータを預けておけば。
52歳のボクなら死ぬまでは安泰でしょう。
死んでからもしばらくは消えないと思われます。
そしてボクのデータはほぼすべてその3強にあります。💦
親兄妹は居ますが、毒身なので、、、基本的に「死んだら終わり」です。
継続も継承もアリマセン。(そもそもするつもりがない。)
やりたいようにやって終わりです、それでいいですし、それがいいです。
なんとか死んだら半年ぐらいでクラウドデータが自動的に消去されるような仕組みが、、ボクが還暦を迎えるころには開発されてて欲しいなぁ、、と願っています。
いつまでもこの世にいないアイツのFacebookから「今日は○○さんの誕生日です」なんてメッセージがくるのイヤでしょ。(笑)

最近、運動不足でアタマが回らなくてむちゃくちゃな文章になってしまったのでした。
この辺でやめとこう。