2009年10月6日火曜日
2009年10月5日月曜日
バタリアン
うほほい!
今日はトレーニングをお休みしたので録り貯めてあった映画を消化してみたよ
今宵、観た映画は「バタリアン」でゴザル。
邦題の「バタリアン」は日本では「オバタリアン」という流行語まで生み出したほど大ヒットしたのだよ。(前世紀の話題。)
基本的にゾンビ映画好きなボク。
この「コメディ映画かい?」と言われるほど、くだけたゾンビ映画のバタリアンでさえ、「どきどき」しながらじっくりと観入ってしまいます。
まあ、ストーリーみたいなのは殆どありませんね。(笑)
「開けちゃイケナイ」みたいなゾンビが閉じ込められた箱を「いとも簡単に」開けちゃう馬鹿な主人公。
あっという間にゾンビがうじゃうじゃ誕生。
ぶっ飛ばしても、ぶっちぎっても、死なないんだよー!
しかもちゃんと喋るし。(汗)
「不死身」で力が強くて猪突猛進してくる姿が「オバハン」に重ねて見えたのか?
なぜか「オバタリアン」に発展したわけか。
この作品を観る限り、当時の「オバタリアン・ブーム」とこの作品は関連性が殆どうかがえないけどなー。
さて、ゾンビ考ですが。
この作品でのゾンビはおよそ死体が甦った、という「恐怖感」は感じられませんでした。
「クリーチャー」としての恐怖感は十分にありますけど。
死んだ友人や知人が墓の中から甦って、自分に襲いかかる、というゾンビ映画ならではの「悲哀」みたいなシチュエーションもありましたが、ぜんぜん「悲哀感」がありませんでしたね。
さすが「ホラー/コメディ」という分野だけあるなぁ。
怖さの中に面白さを付加してありまして、逆にロメロ作品にあるような「哲学性」とか「安っぽいヒューマニズム」みたいな味付けはいっさい無いですね。
だからダメだというわけじゃないです。
ゾンビ映画にそんなヒューマニズムなんか必要ないわい!という意見にもボクは同意できるからです。
単に「人間対化け物」という単純な図式の中でのゾンビ映画ってのも「あり」ですからね。
そういう「観点」から観ると一時代を築いたこともある「キョンシー映画」と通ずるものがありますな。
エンディングもとんでもなくバカバカしくて、「そんなんアリかい?」って突っ込みたくなりますね。(笑)
それはそれで良いエンディングだと思います。
あくまで、全体の作品の雰囲気、そして、こだわり、シチュエーション、、などから考えるとあのエンディングが「すげーな」になるんですよね。
これが「バイオハザード」シリーズであのエンディングだと「金かえせ」になるわけですよ。(笑)
バタリアンは2とか3とか続編がいろいろ創られましたが。
やはり「1」が一番ですな。
今日はトレーニングをお休みしたので録り貯めてあった映画を消化してみたよ

今宵、観た映画は「バタリアン」でゴザル。
邦題の「バタリアン」は日本では「オバタリアン」という流行語まで生み出したほど大ヒットしたのだよ。(前世紀の話題。)
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基本的にゾンビ映画好きなボク。
この「コメディ映画かい?」と言われるほど、くだけたゾンビ映画のバタリアンでさえ、「どきどき」しながらじっくりと観入ってしまいます。

思い起こせば「ゾンビ」(Living of the dead)が封切りされたのが中学2年生。
そのときに映画館であの映画を観てからずっとゾンビ好き。
もはや「ゾンビ哲学」まで自分の中で展開できるほどとなりました。
このバタリアンはロメロ監督の「Living of The Dead」の続編を創ろう!という意気込みを感じる映画。
実は原題は「Return of Living Of Dead」(帰ってきたゾンビ)なのです。
バタリアンなんてのは日本で勝手に付けた題名。
そして当然「リターン」であるからにして。
ゾンビもパワーアップしておりまして。
ロメロのゾンビは頭を潰されたり打たれたりしたらゾンビは行動停止する、というルールでしたが。
このバタリアンはいっこうに行動を停止しない。
頭を吹っ飛ばされても動き続ける。
人間を襲うけどロメロ作品のゾンビと違って「理由」があって人間の脳みそを主食としております。
そして、「知恵」があり「知性」もあったりして、人間と会話をしたり、無線を操作して人間をおびき出したりと、ルール無用な悪党なゾンビなのです。
そのときに映画館であの映画を観てからずっとゾンビ好き。

もはや「ゾンビ哲学」まで自分の中で展開できるほどとなりました。

このバタリアンはロメロ監督の「Living of The Dead」の続編を創ろう!という意気込みを感じる映画。
実は原題は「Return of Living Of Dead」(帰ってきたゾンビ)なのです。
バタリアンなんてのは日本で勝手に付けた題名。

そして当然「リターン」であるからにして。
ゾンビもパワーアップしておりまして。
ロメロのゾンビは頭を潰されたり打たれたりしたらゾンビは行動停止する、というルールでしたが。
このバタリアンはいっこうに行動を停止しない。

頭を吹っ飛ばされても動き続ける。
人間を襲うけどロメロ作品のゾンビと違って「理由」があって人間の脳みそを主食としております。

そして、「知恵」があり「知性」もあったりして、人間と会話をしたり、無線を操作して人間をおびき出したりと、ルール無用な悪党なゾンビなのです。

まあ、ストーリーみたいなのは殆どありませんね。(笑)
「開けちゃイケナイ」みたいなゾンビが閉じ込められた箱を「いとも簡単に」開けちゃう馬鹿な主人公。
あっという間にゾンビがうじゃうじゃ誕生。
ぶっ飛ばしても、ぶっちぎっても、死なないんだよー!
しかもちゃんと喋るし。(汗)
「不死身」で力が強くて猪突猛進してくる姿が「オバハン」に重ねて見えたのか?
なぜか「オバタリアン」に発展したわけか。

この作品を観る限り、当時の「オバタリアン・ブーム」とこの作品は関連性が殆どうかがえないけどなー。
さて、ゾンビ考ですが。
この作品でのゾンビはおよそ死体が甦った、という「恐怖感」は感じられませんでした。
「クリーチャー」としての恐怖感は十分にありますけど。
死んだ友人や知人が墓の中から甦って、自分に襲いかかる、というゾンビ映画ならではの「悲哀」みたいなシチュエーションもありましたが、ぜんぜん「悲哀感」がありませんでしたね。
さすが「ホラー/コメディ」という分野だけあるなぁ。

怖さの中に面白さを付加してありまして、逆にロメロ作品にあるような「哲学性」とか「安っぽいヒューマニズム」みたいな味付けはいっさい無いですね。
だからダメだというわけじゃないです。
ゾンビ映画にそんなヒューマニズムなんか必要ないわい!という意見にもボクは同意できるからです。
単に「人間対化け物」という単純な図式の中でのゾンビ映画ってのも「あり」ですからね。
そういう「観点」から観ると一時代を築いたこともある「キョンシー映画」と通ずるものがありますな。
エンディングもとんでもなくバカバカしくて、「そんなんアリかい?」って突っ込みたくなりますね。(笑)
それはそれで良いエンディングだと思います。
あくまで、全体の作品の雰囲気、そして、こだわり、シチュエーション、、などから考えるとあのエンディングが「すげーな」になるんですよね。
これが「バイオハザード」シリーズであのエンディングだと「金かえせ」になるわけですよ。(笑)
バタリアンは2とか3とか続編がいろいろ創られましたが。
やはり「1」が一番ですな。

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