2019年11月10日日曜日

第31回 ツール・ド・おきなわ 2019

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11月10日 決戦の日

以前から何度か?書いてるとおり、ボクにとっての「ツール・ド・おきなわ」は。
国内レース最高峰で最重要レース。
簡単に言えばレースは「ツール・ド・おきなわ」と「それ以外」のレースって感じ。
ボクには別格なのです。

朝は4時半起床。
例年より30分遅くした。
他はほぼ毎年のルーティーン。
6時ぐらいに駐車場へ行き、バイクをトラックに積んでもらってバスに乗り込んだ。
バスでは堀江選手と久しぶりにお会いした。
いつも緊張もなくバスの中で眠くなって寝てしまう…それも今年も同じ…ウトウトしてたら決戦の地「奥共同売店」に到着してた…

奥共同売店にて

いつも通り。
トラックから降ろされたバイクを受け取り。
チームメイトのキッタン選手と合流。
例年になく寒かった…
多くの選手が防寒着を着てるのに、ボクとキッタンだけ半袖半ズボンで寒さに耐えてた。(笑)
冷やすのって良くないヨネーって話しながら。
試走いく?ってなって走り出すもまだ寒すぎて断念。
もうちょっと日が昇ってから…
って言ってる間に寒くてトイレばかり行ってた。💦
キッタンから「ボクが1回トイレに行く間に3回行ってる、脱水になりまっせ」と言われる。
そして言われながらもまたトイレへ。
結局、待ってる間に5回以上?はトイレに行ったと思う。
緊張でトイレに行くのは解るんだけどそれは行きたくなるだけで実際には出ない。
ボクのはちゃんと行く度にたくさん出るねんなぁ…???
たしかに体内の水分量はものすごい勢いで減っていったと思われる…

スタート

今年は見ての通り「なんちゃってシード権」を頂いて。😊
(去年は66位)
前からのスタートでした。🙌
しかし、いざ並んでみるとシード権は完全に無視されて。😓
勝手にがんがん前に並んでくる、、特に台湾人…
日本語わからないから通じないんだけどね…
こっちも140kmレースに新設されたカテゴリに多く流れたっぽくて頂けたシード権選手なので偉そうに「おい!シードちゃうやろ!下がれよ!」なんて言えず。(笑)
黙ってみてました。
この辺は運営側がちゃんとして欲しいなぁ。
スタートラインに並んでると210kmの選手がちらほら見えて。
大きな集団を重ならなければいいなぁ、と思いつつスタート待ち。
号砲が聞こえてペダルを踏んだ。
前から50番目ぐらいのスタート位置だった…

奥の登り

走り始めてすぐ左から重ねてくる選手が多くて閉口した。
荒れる展開かい?と気を引き締める。
その後、ゆっくりと登りの入り口に差し掛かると一転して安定したプロトンになった。
ふーん、そんなにキツい登り?と思ってサイコンをみたらワットが表示されてない。💦
なんと!パワーメーターが認識されてなかった。😱
過去にも心拍計とかGPSが拾えなかったのはあったけどパワメは初体験。
選手数が多くて混信したのか?まいったなー。
他の数値はなくても良いけど出力数値は見えないと困る。
仕方ないのでサイコンを走りながら再起動させる。
うーん、まいったな。
ただでさえキツい「奥の登り」で片手運転でサイコン再起動させてて大丈夫か?オレ?みたいなー。
幸い、再起動後はちゃんと認識して動き出してくれた…ほっ。
しかし!気がついたらもう登りで遅れ始めてて、、千切られそうになっていた…
やばいって!ここで千切られたらもうレースは終了や。
(過去に経験あり)
5人ぐらいでローテーション回し始め、必死の追撃。
最終的にはこぼれてきた選手も拾って10人ぐらいで回して何とかかんとか最初のトンネル前でプロトンに合流できた…焦った…
実際に後でわかったけどこの「奥の登りが終わってからの下り坂」での「必死っぷり」のおかげで?この「Descent to Basecamp」という区間で過去最速を記録してた。(笑)
超無駄脚だった…😅
追いついたプロトンは色んなCategoryの選手が入り交じってて。
例年にないカオス状態。
少し前にチームメイトのキッタン選手の後ろ姿も見えた。




追いついてるでー!とキッタンにアピールしようか?と追いかけようとするも、脚に余裕がないことがすぐわかり。
無駄足を使うことは賢明ではないと考え、大人しく後方でダムの登りに備える。
少しでも回復させとかないと…
なんか色々アカンような気がしてならなかった…
実際、この時点で(例年になく調子が悪い)と感じてた…
奥の登り
  • 2017年 10:46 279W
  • 2018年 10:41 274W
  • 2019年 10:58 211W
遅い…重い…

普久川ダム

左に曲がるプロトン。
合図が出て声が出て。
駆け出す選手も多いけど、無理しても先が長いし。
躊躇しながら登る。
あっという間にプロトンは崩壊。
どこまで食らい付こう?とか考える間もなくすぐに追いつけなくなり。
落ちてくるのは違うCategoryの選手ばかり。
焦る気持ちを抑えて自分のペースで登る。
普久川ダム
  • 2017年 257W 21:15
  • 2018年 258W 21:40
  • 2019年 238W 22:19
もうこの時点で例年になく遅かった。😖
あれ?おかしい?と気づいてたけど気づかないフリをしてた。

学校坂

下り坂はこれまで「かっ飛び」でイケたはずだったけど。
今年は下りもイマイチ速くない。😥
前日の試走で見た路面状況の悪さも心理面でマイナスだった。
下り終えてからの登りも冴えず。
ズルズルと下げてしまう。

ここから先はほぼ同じメンツでローテしながらアップダウン区間をこなし。
ローテ内で色々話しかけられたりしながらひたすら耐える。
まだチームメイトのキッタン選手に追いつこうと藻掻いてた…

学校坂

  • 2017年 228W 19:12
  • 2018年 229W 18:46
  • 2019年 208W 20:52
このあと、、70km地点ぐらいで「まさか」のローテーションから千切れるという結果になる。
完全に途中で心が折れたわけです。
UCI Granfondoでも、完全に体力が無くなってからでも折れずに歯を食いしばりゴールまで走れたのに。
たぶんレースでは初めて「負け」を認めた瞬間でした。
「アカン、もう降りよ」と思ったのでした…

海岸線

ひたすらアップダウンを終えると。
海が見えてきて。
海岸線の平地区間に。
ここでは既にもうボクは千切れていて。
辛うじてローテするメンツがいたらコバンザメのように着いていくだけ。
すぐにまた千切れて、、しばらく単独走になり、またグルペットに潜り込む、を繰り返してました。
DNFしても良かったんだけど、DNFしても結局ゴールまで自走するんだろうなぁ?と思い、、仕方なく走ってた…っていう状況でした。😢

羽地ダムへ

ここから先はなかなか辛い区間。
応援が最も多く。
折れてしまったボクの心を繋げていく作業を強いられた…
例年なら最も体力的に苦しむ区間なのに今年は精神的に苦しんだ。

羽地ダム

  • 2017年 243W 6:53
  • 2018年 242W 6:37
  • 2019年 183W 8:25

見事な心の折れっぷり。(笑)
200W平均も踏めてない…😅
ひどい、、、ひどすぎる、、、サイクリング状態か、、、(恥)

戻ってきた

ダムを終えてトンネル通って下り坂に。
数人の選手と走ってたら木村選手から「バックファイアーしてる!」と揶揄われた。(笑)
まぁ、仕方ない。もう折れてますから。💦
左に折れて国道へ。
ようやく戻ってきた。
しかしグルペットにまたも置いていかれて単独走で戻ることに…😢
恥ずかしいので何とか小集団の中に隠れたかったのでキョロキョロ探すも見つからず。
ひとりぼっちでゴールを目指す…

ゴール

(なんだかなぁ…)
ゴール手前で「もうこんな思いをするのはイヤだ」と感じてました。
「ツール・ド・おきなわは今年で出るのは止めよう」とずっとゴールするまで考えてました。
自分は負けたし。
今後も負け続けるだろう。
ならもう出ないでおこう。
自然にこう考えました。

実際問題。
今年は何を隠そう、、少なからず「アカンのんちゃう?」って思ってました。
しかし、ここまでダメダメだとは思ってませんでしたけど…
いつまでも自己新記録を出し続けるのって不可能だし。
いずれは負けちゃうんだろうなーってぐらいはスタート前に考えてました。

ひっそりと静かにゴールラインを越えて。
すぐキッタン選手と合流。
なかなかの凹みっぷり。
弱音吐きまくってました。
二人とも「もうしわけない」のポーズでリザルトを手にしました。(笑)
終わったらやっぱり「ホッとした」の気持ちで一杯になってました。😊

色んな想い(来年に向けて)

今年は「クソ負け」しました。😭
誰に負けたのでもなく自分に負けた。
なかなかこんな大敗は経験ありませんなー。
正直、直後はなかなか素直に負けを受け容れがたく執筆する気持ちにも成れませんでした。
時間が経過してきて、ようやく受け容れられるようになり。
また来年に向けてペダルを回そうと思えるようになってきた今日この頃です。

2019 130位 3:32:39.278
2018   66位 3:14:28.569
2017   71位 3:14:57.815
2016   45位 3:16:28.416
2015   34位 3:24:28.083
2014   70位 3:40:16.882


初めて100kmに出たときよりまだタイムは良かったんだなぁ。(笑)
あの頃のほうが今よりだいぶ若いのに。😅

自分にまだ伸びしろがあるのかどうか?
今はまだ解りません。
さすがにもう54歳で来年は55歳だし。
無理が多すぎる気もします。
でもまだ挑戦したい自分も居ます。(笑)
沖縄にまた来れるかどうか?
それはボクの頑張り次第ということですね。

敗因分析


自分なりに「なぜ折れたのか?」を分析してみた。
と言うのも今までに経験したことのない絶望を味わったから。(笑)
大抵の辛いレースは乗り越えて来れたのに。
今年、あの70km地点で「もう無理」と判断したのは?

いろいろ過去のデータを調べてみてイチバンの原因と思えるのは
CTL」が例年になく低いことでした。
毎年走ってる距離とか標高とか体重とかも大差ないんですけど。
大きく違ったのはCTL。

この画像の右上の数値の「Fitness」が「CTL」。
(いずれもツール・ド・おきなわのレース終了時の数値)

  • 2016年 83CTL
  • 2017年 78CTL
  • 2018年 89CTL
  • 2019年 63CTL

明らかにCTL値が低いです。
この10年、まったくFTP値を更新してないので。(笑)
(計測もしていない)
練習の距離は同じでも出力が出せていない、出せていてもCTLを維持する練習をしていない、という結果になってるわけです。😖
思い当たる節がいくつもあり、猛省してるところです。
たしかに普段は走った距離と獲得標高ばかり気にしててCTL値とか滅多に見なかったし…
考えれば今年は「辛い、苦しい」と言われる練習やブルベはできるだけ敬遠してました。😅
このことが「ここ一番」のときの「くそ力」が出せない結果になったのでしょう。
要は「シンドイことせなアカン」っていうことやと思いました。
ロードレースって色んな事を犠牲にして記録を出すものだというのを思い知らされました。

取り敢えず。
また「頑張ろう」という気持ちにはなりました、ようやく。(笑)
来年の「ツール・ド・おきなわ」に出走するかどうか?はまだ決めてません。
来年はいろいろ重要なレースがあり、前半戦はそちらに注力したいと思ってます。
以前と違い年間で出るレースは数回しか出なくなったので。
全部が「重要レース」なんですよねー(笑)

あと数年は頑張ろうと思います、、、
ボクが出来る「運動」と言えばサイクリングしかないのですから…
これ止めちゃうと、、、ほぼヒキコモリライフになってしまいますので…😅

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