2017年8月28日月曜日

2017 UCI GRAN FONDO WORLD CHAMPIONSHIPS ALBI FRANCE

Granfondo World Championships, Albi 2017に参戦してきました。
8月27日

午前5時起床。
いよいよ決戦の朝。
前夜はホテルの近くのレストランで夕食を食べ、、食べ過ぎ。
お酒も飲み過ぎて夜中に眼が醒めてしまい、その後はあまりよく眠れず。
目が醒めても食欲も無く(なんだかなぁ?)って感じの体調だった。
二日ぐらい前のちょっと硬くなったパンを千切って食べて。
生ぬるい牛乳で流し込む。
全く食べずにレースに行くなんて自殺行為だし。
スタートは9時少し前?ってぐらいしか知らなかった。
カテゴリー別にウエーブスタートというやつ。
一番若いカテゴリーから出るんだろうから年寄りカテゴリーのボクはほぼ最終のはず。
ゆっくり出かけても十分間に合うと思ってた。
朝ご飯をほぼ食べないことにしたので時間が余ってすることもなくなり。
7時に招集場所へ行くつもりだったけど6時半ぐらいにはホテルを出てしまった。
世界遺産アルビ大聖堂をバックに
既に何人かの選手は来てたけどさすがにほぼ誰もいない招集会場。
アルビ大聖堂がスタート地点。
周辺には観光地らしく多くのカフェがある。
早い時間からカフェなんてやってないはずなのに何故かこの日は選手目当てなのか?カフェが営業を開始ししていた。
早く来すぎたのでカフェでぼんやりコーヒーを飲む。
ご機嫌な老人たちがボクのジャパンジャージを見て近寄ってきて「ジャポン!」とはしゃぐ。
その老人の一人が流暢な日本語で「おはようございます」と嬉しそうに日本語を話し出す。
「2年間、栃木に住んでいました。」というその老人は仲間の老人たちに「日本語が話せるんだ」というのを自慢したいのか?知ってる日本語を全力で話し出す。
ボクの自転車をじっと見て、最後に「がんばってください」と言われて「ありがとうございます。」と挨拶してカフェを後にした。
老人たちはその後もカフェで僕ら、レーサーが集まるのを見て楽しんでいたようだった。

7時を過ぎると大勢のレーサーが集まってきてだんだん周囲が賑やかになってくる。
何処に並んでどういう順番に並ぶのか?さっぱりアナウンスが無い。
ちょっとしたカオス状態だ。
大聖堂を正面にみてヒトツのStreetを占有しロードレーサーが無秩序に集合してる状態。
オーガナイザーのシャツを着たボランティアがゼッケンを見て「前へ出ろ」とか案内してるみたい。
要は番号の若い順に出るみたいだな。
簡単にそう解釈した。
しかし何時にスタートするのかはまったく解らなかった。
ここに来る前に何度もトイレにいったのでボクは助かったけど。
何時にスタートするかわからない状態で待たされてる他の選手はトイレにも行けず大ピンチに。
我慢できずにあちこちで立ちションしてるし、完全にカオス。
(めちゃくちゃやなー)
と思いつつ、待っていると、、ボクのカテゴリの選手たちが移動し始めたのでくっついて着いていく。
いつの間にか大聖堂前のスタート地点に並んでた?(笑)
(不思議だ?なぜボクがこんなとこに立っているんだろう?)
改めて思った。
周囲は身長190cmが当たり前の大男だらけ。
みんな無精髭とタトゥーだらけで筋肉隆々だ。
普段、街でこんな奴らと出会ったら「すっ」と道を譲るだろう、と思う奴らの中にボクが居る。
「オー、ジャポネ」とか話しかけられてもできるだけ聞こえないフリ。
(てめー怖いんだよ、鼻にピアスなんかしてる50歳代ってアカンやろ?)
心の中で叫んでました。
9時少し前、、なんかカウントダウンしてるなぁ?
でもボクの前にもうヒトツ別カテゴリーの集団が並んでるんじゃないの?
ボクのスタートは前が出てからやね?と勝手に解釈してたら。
スタートでした。(笑)
前に200人ぐらいいたんだけどなーって思ったらボクは200番目以降に並んでたみたいだ。
なんてこったい!
急いで前へ上がろうとする。
しかし市街地はかなり危ない。
石畳なところもあるし。
道路は広くなったり狭くなったり。
そもそもパレード走行で市外まで走るはずだから、、、と思ってたけど、200番以降のボクにパレード走行なんてなかった。😢
いきなり全力モード。
そしてカオス。
路上駐車されてる自動車を躱し、いきなり出現する中央分離帯を飛び越え、たまには歩道を激走する根性がないと前へ上がれない。
もちろんそんな根性はないのでずっとプロトン後部で引きずり回されるしかない。
優勝候補のベルギーチームが歩道を走って前へ上がっていくのが見えた。
あんなん、危険すぎて無理やろ。
曲芸か?
一瞬でも気を緩めると「ストップ!!」と集団内で怒号が飛び交い、前が詰まってフルブレーキ。
一瞬でゴムの焦げた匂いが溢れかえる。
そしてまたフル加速。
道幅の変化に応じてストップ&ゴーの繰り返し。
かなり脚を削られる。
ようやく市外に出て道が直線になってからでも頻繁にフルブレーキ。
300人ぐらいの選手が千切れずにプロトンに残っているからだ。
さすが各地の予選で勝ち抜いてきたオヤジども。
ちょっとやそっとじゃ千切れない。
パンクやメカトラブル以外では落ちていかない。
大集団のまま突き進む。
前方では10名程度の逃げが出たみたいだったけど、後方からじゃ、詳細はわからない。
1秒でも脇見したら「ストップ!」のかけ声に遅れて前方に突っ込んで終わるしかない。
10km地点で事前に何度もチェックした「危険箇所」に到着。
それまで広かった道幅が急に狭くなり、平坦だったのが下りになり、下ったところで左折。
さらに左折後、すぐ右折して、今度は10%ぐらいの短い登り。
ここは無事に通過するために少々リスクを冒してでも下りで加速して前に追いつき、曲がり終えて登りに入る直前で道の右端に逃げて登り返しでの衝突に備えた。
案の定、ガシャガシャと変速ミスして急減速して分断されたので、いい感じに前のプロトンで残れた。
ボクが考えた作戦で功を奏したのはこのヒトツだけだったけど。(笑)
少し人数を減らしてもまだ200人以上?居るプロトン。
平地を突き進む。
頻繁にフルブレーキさせられるので怖くてボトルの水も飲めない緊張状態。
はっきりいってキツい。
しかもほぼ全開で走ってる。
まったく緩む気配がない。
(シンドイ)
時速45km/h以上で走り続け、プロトン最後方で頻繁にフルブレーキのストップ&ゴー。
ストレスだらけだ。
右前方に同じカテゴリで走る日本人選手が見えた。
ボクより速い人なのは試走時に一緒に走って判ってた。
何とか彼の位置まで上げたかった。
しかしプロトンにそんなスペースがない。
一度、入り込めたら、もうそこを守り通すことしか出来なかった。
それ以上、前に割り込める余裕なんてなく、前へ上げようとしたら、すぐさま、どこからとなく「STOP!」の怒号が飛んできてフルブレーキさせられてた。

それでも何とか無理矢理前をこじ開けて割り込んだら、カナダ人らしき選手にフランス語と英語で怒鳴られた。
(両方の言語ともわからんわ!)と思ったが、素直に「ソーリー」とだけ一言いったらそれが余計に気に入らなかったのか、わざわざ再度ボクの前に割り込もうと身体をぶつけてきやがる。
何という「負けん気!」これが狩猟民族か。
正直、驚いた。
(謝ったやんけー、コイツ)と憤慨したけど、また英語で何やら怒鳴られる。
どうやら「おめーは自分のラインを守って走れるのか?」みたいなことを言ってるようだった。
とにかく「こじ開けて入る」ことは狩猟民族の闘争心に火を点けるだけなのか?ベリーデンジャラスだ。
そんなことしてる間に、あっという間にまたもやプロトン最後方に落とされる。😖
そして強烈なSTOP&GOで削られていく体力。
フラフラになってきた。
と、、油断したら6人ぐらいの大落車発生。
ちょっとブレーキが遅れた。
(ヤバイ!)
背中に電流みたいなのが走った。
フルブレーキ。
後輪がロックして滑る。
ゴムの焼けた匂い。
今回は完全ストップだ。
クリート外して路面に足を付けた。
道が塞がったけど、さすがに百戦錬磨の奴らばかり、あっという間に復旧。
転けた奴らも手慣れたもので、さっさと路肩に移動してバイクのチェックしてた。
しかしプロトンはここで大きく分断。
(追いつけるのか?)と思った。
もう大概疲れてたし。
ここからドイツ人選手団が隊列を組み始め、前のプロトンを追いかけ始める。
すかさずドイツ超特急に飛び乗る。
(連れて行け!)と念じる。
しかしこの超特急、、乗ってるだけで疲れるぐらいの速度やんか。
必死でしがみつく。
先頭のドイツ人が「もっと回せ」「ローテの速度を上げろ」とうるさい。
前の選手は1秒も牽かないぐらいで交代。
20人~30人ぐらいが高速で回し続ける。
こんな早いローテは初めてやなーと思いつつ、耐える。
そもそも日本じゃ2列縦隊でローテとか交通法で出来ないからなー。
その差がありますなー、こっちでは自転車の縦列走行は2列までオッケーなのだー。
なので、ローテが早い早い。
そして何とか前のプロトンにJOINできたんだけど、すぐ情報がきて、どうやらまだ前にプロトンがあるみたい。
なんと三分割してたみたいだ。
その情報を聞いた時はもう最初の登り区間に突入する直前だった。💦
(こんな疲れ切った状態で10kmの登りはアカンやろ)
もう少しプロトンで平地を走り休憩したかったのに…
最悪のタイミングで最初の登り区間へ。
(アカン…)
もう脚がスカスカになってた。
まだ100kmも越えてないのに。
それでも300w近くでは踏んでた、必死で。
それでもガンガン抜かれていく。
5倍ワットでないとまったく歯が立たない。
ここまで削られた脚で5倍で登るなんて無理すぎる。😬
やっちまったら完走無理なぐらいまで疲弊しちゃうなー。
と冷静に判断。
ここで完全に脱落。
せめてグルペットで…と思ったけど、ここでも居場所はなし。
もう脚が耐えれなかった。
っていうより、このまま踏み続けたら、落車するか?オールアウトで降りるか?まで追い詰められる気がした

第1補給所は予定通りスルー。
ボトル2本あったんで取らなくてもイケると思ってた。
しかし第2補給所では必死。
ここで取れないと完全に熱中症でダウンする。
他の選手も同じ。
補給所にあるオフィシャルが用意するボトルは既に完売。




とまあ、写真のとおりの補給を用意されてたんですけど。
2000人が奪い合うとあっという間に無くなりますわな。
ボクのように最後方からやってくる選手には、無残な空ボトルしか無いわけです、オフィシャルには。😢
しかし!今回はサポートスタッフが4名居てくれて。
第1~第3補給所まで分担してボトルや補給食を渡してくれました、感謝。💖
第2補給所の様子
このレースではPowerBar GELを6つジャージのポケットに入れて走りました。🚴


いつもせいぜい2つも消費すればいいとこだったんですけど。
今回は違いましたねー。
補給所でさらに1つ追加してもらって全部で7つ消費。💦
汗で失われるのは水分だけじゃないですからねー。
指先や脹ら脛が「チリチリ」と痺れるようになったらもう遅いわけで。
30分ごとぐらいにヒトツ喰ってました。

それでも二つ目の山岳に入ると、もうあちこちの筋肉が「チリチリ」と微弱電流が流れてるように感じ始めました。
(いかんなー)と思いつつ。
それでも300wぐらい出さないとまったく着いて行けないぐらい。
まったくタフだぜ、ガイジンめ!

日本のレースと違うのは「タフ」なことですかねー。
日本だと「細さ」と「軽さ」を競う?ような部分がありますが。
ヨーロッパのオサーンはまったくそんなの競わない感じ。
完全に「タフ」を競うオサーンですね。
まさに「速い」より「強い」を意識する感じでした、これは経験しないとわからない感じやなー。
(見た目もタフそうな奴らばかり、殺しても死なない感じ)
生命力と生命力のぶつかり合いを楽しんでるような奴らばっかだな!

第3補給所でスタッフからボトルを受け取る。
耳元で「ゴーゴーゴー!!」と叫ばれる。
ラトビアの選手の後ろに着く。
ゼッケンみたらCategoryが違う。
ライバルじゃ無いのか。
その前にいるイギリスの選手二人が同じカテ。
(よし、こいつらには勝つ)
オフの日に試走したコースまで来たのでカーブや道の凸凹まで覚えてる。
イギリスチームはわからないみたいだ。
(こっちの方が有利やんけ)
そう思った。
先頭交代を即されても、まともには牽かず。
間にラトビアのカテ違いの選手を挟んで牽かせたりしてできるだけ脚を使わずに。
(サーキットの中に入るまで動かない)と決めてた。
サーキット内は風を遮る物体がないので爆風になるのは知ってたから。
脚を貯めてないと勝負できん。
残り10km切ってボトルの水も無くなり。
細かいアップダウンも何とか乗り切り、脚はもう目一杯。
残り5km。
ラトビアの選手はもう御役御免、千切れてもらう。
二人のイギリス人に前を牽かせてじっくり休む。
後ろに何人着いてるんだろう?10人ぐらいかな?よくわからないけどチャリチャリとチェーンの音は聞こえる。
後ろを見る余裕は無かったんでこのままサーキットまで行く覚悟。
サーキットに入るとすぐイギリス人ヒトリが千切れる。
残りはイギリスひとり。
予想通り、サーキット内は風が強い。
前を走るイギリス人はひょっとしたら後ろに居るのはボクでは無くチームメイトだと思っていたのか?特に何のジェスチャーもなく牽いてくれる、ありがたい。(笑)
(300m手前で千切る)
向かい風だったので500mは自信なかったんで300mに決めた。
途中で右からヒトリ、スプリントで抜いてきた。
落ち着いてゼッケンみたらカテ違いだったのでスルー。
しっかり手前で抜いて、ごっつぁんゴール。😊

お疲れさまー
長かったレースが終わり。
安堵しました。
意外にも最初の感情が「安堵」でしたねー。
一つ目の登りの時には「こりゃ最後まで走れるかな?」って思うぐらい凹まされたし、疲弊してた。
そのおかげで第2補給所まですごく消極的な走りになってたし。
残り20kmぐらいでまた息を吹き返した?って感じでした。
それぐらい「最後まで走りきれるかどうか」自信無くなってた、キツい、厳しいレースでした。
ボク程度のレーサーなら「完走するのがやっと」と言うこと、そういうことです。
一緒に戦った愛馬「AZMAX」
「レースを終えて」
ロードバイクはボクの知らない場所に連れて行ってくれる。
オサーンになってから乗り始めたボク。
それまで運動らしい運動なんてしたことなかったし。
今もスポーツは苦手だ。
野球もサッカーも興味ない、どちらかと言えば「オタッキー」なボクに挑戦する楽しさと無限大の可能性を与えてくれた。
エッチラオッチラと通勤で乗り始めた頃、まさか南フランスまで来るとは思わなんだ。(笑)
同時期に始めた仲間でまだ乗ってる奴らは皆無。
50歳過ぎてこんなことができるなんて?続けてて良かったなぁ。
むしろ若い頃より今の方が多くの夢を持つことが出来ている。
自分の可能性を信じられるようになった。
バイクに乗らなければ出逢うことの無かった人達と出会い、お互い切磋琢磨し、競い合って高め合う、そんなことがこの年齢になってもできている。
多くの同世代の奴らはもう初老シルバーライフに突入しているというのに。(笑)
ここから先もまた未知の世界。
でもバイクに乗ってりゃなんとかなる。
これまでもなんとかなってきたんだし、これからもなんとかなる。
ペダルを回してりゃ必ずゴールするからな!😀

もう「次の夢」を描き始めてますよ!!😊
まだまだっ!