2017年10月2日月曜日

10月にナリマシタ

週末は岩瀬練で走り回ってました。
まあ、記憶が消えるぐらい引きずり回されました。
朝だけ少し寒いのでなんか色々着込んでますけど。
走り出したら暑くなってすぐ脱いでますね。
土曜日は暑いぐらい。
日曜日は少しマシでした。
土曜日(9月30日)

高速ビワイチ。
琵琶湖なんかほぼ観てませんね。
向かい風で必死でした。

日曜日(10月1日)

もう登れなかったです。
平坦はなんとか食らいつけたけど。
登りなるとまったくダメ。
千切れまくり。
よく使われるコースなのでだいたいの地形は判ってたんですけど。
判ってるからって何にも変わらない。
ただ歯を食いしばって耐えるだけでした。😬

2日間で15時間ぐらい自転車(サドル)の上に居ました。
それに対して寝てた時間が21時間ぐらいです。(笑)
足したら36時間。
2日間って48時間しか無いので。
日常生活を過ごしたのはわずか12時間でした。😕
(12時間のうち3時間はコンビニの駐車場で座り込んでたと思われます。)
こんな生活がシーズン終わるまで続くわけです。
ああ…


閑話休題


最近、「イスラム」の本と「ベーシックインカム」についての書籍を読んで感じたこと。
つまり両方は両極にあるってことだなー。
イスラムの人たちの考え方って、恐らく昭和初期の日本人のスピリットに似たようなとこがあって。
日本人だってつい100年ぐらい前までは十分「男尊女卑」だったし。
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家族主義で狂信的な民族だったはずだからね。
それがいつの間にかアメリカナイズされてこうなっちゃったわけで。
儒教の色が濃かった時代の名残って探せば、日本にはまだ残ってる気がする。
(まぁ、一部の政治家がそういうのを根こそぎ差別と称して消滅させようとはしてるけど)
良い意味でも悪い意味でも日本は戦後、多種の考え方、価値観を認めようと変化してきた民族ということになるなぁ。
イスラム国家は未だにその他の価値観を認めないということですな。
幸福とは?という命題にはっきりと答えが出るのがイスラム教、ということです。
日本の宗教ではもはや「幸福とは」という問いに答えることが出来る宗教家は居ないでしょう。
それぐらい複雑で多種多様になってしまったわけです。
なので自殺したりおかしくなってしまったり鬱病になってしまったり、盗んだり殺したり、いがみ合ったりするのかな。
もっと単純に簡単に生きられれば、少なくとも他人を傷つけたり、自分を傷つけたりはしなくて済むような事件ばっかりの気がしますね。
そもそも地球上の哺乳類で「脳」だけを発達させて絶滅を免れた種族は人間だけで。
他の種族はそれぞれ「脳」なんか発達させずに空を飛べるようになったり、身体の色を変えられるようになったり、体内で毒をつくれるようになったり、「生き延びる」ための進化をしてきたわけです。
人間だけがそういう特殊能力を棄てて「大脳」を異常に大きく複雑に発達させた結果、地球の王者になったというわけです。
大脳以外にさして自慢できる能力なんか人間にはアリマセン。
脳が発達した結果、色んな発見や発明をしてきたけど。
なんかややこしい「鬱」とかいう病気も生みだしたし。
「嫉妬心」とか「猜疑心」とか生み出しもしました。
こんな病気はカメレオンや蜘蛛はナリマセンからね。
生き延びるために身につけた能力で自分を殺してしまうわけですよ、人類って。

こういう複雑な環境下で、もっと単純に生きていこうとするには、もっと単純な考え方や価値観で良いと思ってます。
学校に行ったら虐められてイヤだ、というなら行かなければ良いし。
会社に行くといっぱい働かされてシンドイからイヤだ、というなら辞めれば良いと思う。
そうできないのは「イヤだ」のあとに、いろいろ複雑な心理や背景があるからだと判りますけど。
イヤだ、というならイヤなんです、いつまで経っても。
背景なんてそう多くなくて。
殆どが「だってみんな学校に行ってるから」とか「だってみんな仕事してるから」っていう「そうですか?」ってレベルの背景しかない。
生きていくことはけっこう長くて。
明治時代なら50年ぐらい?生きてたのが、最近では70年とか80年とか生きる。しぶといヤツだと100年とか生きる。
長い時間生きるのに、不確かな「当たり前」を押しつけられてると思う。
ボクは子供時代、先生やオトナから「そんなのは当たり前だ。みんなそう言っている」と言われ続け、ずっと信じてなかった。
「一生懸命、勉強しないと立派なオトナになれない、とみんな言っている」
東大を卒業しても刑務所に入ってる奴らはごまんと居る。
「良い大学に入らないと、良い仕事に就けない」
良い大学に入ってもフリーターしてるヤツはごまんと居る。
「お金をたくさん稼げないと幸せになれない」
幸福感はお金の有り無しに左右されない。
などなど。
だいたい、、、そうやなー70%ぐらいは当時の教師から言われた「お小言」は嘘だった。
嘘しか言わない教師が居る学校に虐められて命がけで通う価値なんて、どの程度有るのだろう?そうやなぁ、、iPhoneの発売日にアップルストアの前で並んで待つ方が価値がある、と思うぐらいですかね。

総じて人間はみな「いい加減」です。
信念を持って人と接して、本当に他人のためにアドバイスをしたり、導いてくれたりするヒトは、なかなか居ません。
50歳を過ぎて人生半世紀過ぎましたけど、思い返してもそんな人間って思いつきません。
みな、損得あってのバランスですから。
他人の忠告は参考程度になるかな?ってぐらいで良いです。
心酔してるヒトをたまに見かけますけど、新興宗教ですか?って思っちゃいます。(笑)
よくある自己啓発系のセミナーってこういうのですよね。
行ったことあるけど、吐くほどアホらしいと思いました、ボクのような人種には効果はありませんでしたね。
親ですらいい加減だと思ってます、特にボクは自分の父親を信じていません
これは多くの人に公言しています。
よく「尊敬する人は父です」とかいうヒトを見ると「なんて世界が狭いヒトなんだろう」と思うだけです。(笑)
世の中にはもっとすごい尊敬できるヒトが居る、と思わないのですかね?
みんな、自分の親は立派であると「信じたい」だけです。
親って親である前に「普通の人間」ですから。
ダメなヤツもいれば前科者もいるだろうし、身体の弱いヤツもいれば、お金に汚いやつもいるでしょう。
皆が皆、「立派な聖人君子」ではないはずです。
「親子の絆」とか信じてませんし。
親だから無条件に信頼し、尊敬することはしません。
客観的に見て、判断し、信頼できる人物かどうか?見極めて信頼できない人物なら自分の周囲から排除する、これだけです。
でないと、自分が不幸になるからです。
自分ファーストなのです、常に。
そうでないとヒドい目に遭うのも自分ですから。

幸福なんてものは、今の日本じゃすげーーーたくさんあって。
いくつかのパターンに分類することすら難しいぐらい多岐多様になってると思います。
ヒキコモリと呼ばれる人種が不幸なのか?
それって普通に生活している人から見れば、毎日、部屋の中で「おかしいよね?」って事で。
ヒキコモリして楽しんでる人たちから言わせれば「ほっといてくれよ」なわけですよね。
ちゃんと飯を食って、誰にも迷惑かけず、生きてヒキコモリしてるならそれはそれで良いんじゃないですかね。
例えば、親に働かせて喰わせてもらってヒキコモリしてます、でも百歩譲れば「親」というアイテムを使って生きているわけだから「イインジャナイ?」ってボクは思います。
よくある「ヒモの生活パターン」に置き換えれば理解できます。
喰わせてもらってる側と喰わせてる側には「微妙な愛憎バランス関係」が成り立ってて。
それはそれで双方がうまくいってるってことなんでしょう。
(いずれ破綻しますけどね)
ただ、どんな場合でも「おのおの、それが現時点での自分の最高の幸せなんだ」ってことですよ。
他人にとやかく言われる筋合いはないし、ほっといてくれよ、ってこと。

そして「そういうのを」とやかく言ってくるのが「政治屋」さんですね。
ああ、なんて不幸なんでしょう。政治の、我が党の力で皆さんを必ず幸せにします!」って言うよね?(笑)
「ほっといてくれよ」って言いたいですよね。
もうすぐ街中でこういう、、ボクが子供の頃聴いた「教師の嘘」のような「嘘」を演説する政治屋で溢れかえりますね。
耳を塞ぎたくなる思いです。
耳を塞いでも聞こえてくるから不思議なんですけどね。

これだけ複雑になった人間社会を政治屋さんが面倒見ることは出来ないでしょう。
みんな、求めている幸せの種類も形も量も違いますから。
生まれてきて、学校卒業して、適当に就職して、頃合いを見て適当なのと結婚して、子供つくって、子供が20歳になるまで働いて、死ぬ。
昭和40年代、日本人が「エコノミックアニマル」と呼ばれてた時代、日本人の価値は「これだけ」でした。
レールはこの1本だけ。
学校を中退したり、就職しなかったり、結婚しなかったり、子供つくらなかったり、、そんな人生は「不幸」と位置づけられてきた。
なので全員、このレールから落ちないように、必死に生きた。
そしてほぼ全員がこのレールを最後まで走り抜けたわけです、日本人は。
現在はどうでしょうね?このレールを最後まで走れるヒトってどれぐらい居るんでしょ?
40%?30%?
そもそも子供が20歳になっても死なないし。(笑)

人生の早い時期にレールから外れて生きてしまってもかまわない。
学校行かなくても、仕事しなくても、結婚しなくても。
ぜんぜんオッケー。
ケセラセラ。
そりゃ生きていくことは大変なので。
喰うために働くこともあるでしょう。
異性を好きなったり、失恋したりもあるでしょう。
そんなのも全部含めて「ケセラセラ」と笑って生きていける社会にしてほしい。
よく言われる、デタラメばっかりの「そんなの常識やんけ」という言葉に惑わされちゃイケない。
「そんな常識はない」と言い返せ。
そんなもん超越しろ。
どうせ目の前のヤツも会社の上司も学校の先生も「決められたレール」からいずれ外れるんだから。
もしそいつが最後までレールに乗ったままで生き抜いたら「ああ、なんて退屈でクソつまらない人生なのでしょう。」と言ってやれ。(笑)

と、月初の会議とか朝礼とかで話すことのネタを探してた時に、頭の中に浮かんだ戯れ言でしたとさ。