2013年4月16日火曜日

お騒がせしております

さて、昨日のブログで公表したとおりに今日はセカンド・オピニオンで鈴鹿にある病院に来ています。

朝の6時に起きて、まずオフクロさんを駅まで送迎してから、そのまま鈴鹿へ。
自宅からクルマで40分ほどでした。思ってたより近いな。

さて、受付を済ませて病院の待合室にいたら。
「診察はいつになるかわからない。」と告げられ、いったん病院から離脱。
いまは鈴鹿のイオンで遊んでます。

ところで、衝撃の告白「再々手術のお知らせ」を発表して以降、その反響の大きさに驚いています。(汗)
どちらかといえば、こんなに多くの人たちがボクのことを気にかけていてくれるんだなぁ、という感謝の気持ちが大きかったですが。
身近な人たちには愚痴られたり嘆かれたり散々な反応でした。(泣)
まぁボクも好き好んで三度も鎖骨骨折ぐらいで手術するなんて思いもしませんでしたもの!?
(まだ手術が確定したわけじゃないですけどね。)

繰り返しになりますが。
ボクはまだ何も諦めていません。
欲張りな人間ですから、何一つ、この手にしたものを離したくありません。(笑)
残念ながらツール・ド・おきなわ前に270wあった脚力は伊吹山では240wにまで減ってました。(汗)
270wでもあのレベルの選手たちの中で戦うのは困難なのに240wじゃ話にならないのもわかってます。
しかし、このまま「ちんたらちんたら超音波治療」やってて無駄に時間を費やすことを恐れたわけです。
普段の練習メニューがこなせない状態で、どんどん衰えていくのを指を加えてじっと過ごすのは無理。

今回の「再々手術」はあくまで「ボクが選んだ選択肢」です。
ノンビリ屋さんのボクでも、もう我慢できないっす。
外はいい天気だし、チームメイトもがんがん走ってるし。
ボクだけリハビリばっかり…しかも治るかどうかわかりませんけどねーなリハビリだし…

決断させた大きな理由の一つに。
「右肩が動かなくなってきている。」があります。
11月25日以降、右肩をまったく動かしてません。
極端に言えば「右側に寝返りをうつことさえ出来ない。」日々が続いています。
可動域確保は必死にやっていますが、そもそも金属で固定している箇所はどうやっても動かない。
これが4ヶ月以上続いて、半年を超えると、「もう動かなくなるんじゃない?」という恐怖感が出てきました。
今は何とか自転車のハンドルは持てますが、日常生活の半分ぐらいは左手でしか出来ません。
電車に乗っても吊革は右手で持てないわけです。
自転車にしても下ハンはキツいし、DHポジションはできません。(しないけど。)
ダンシングで上半身を支えることが出来ないので攻撃的なライドは不可能。
こんなんではレースどころの話じゃないんですけどね。
このまま金属で関節を固定したままだと、骨折が治癒しても、かなりの時間、腕が動かない、回らないということになりそうです。だから超音波治療を諦めたわけです。別の手法を模索して完治を目指します。

「何一つ諦めない」と書きましたが、すんません、諦めたことがいくつかあります。
まず「2013年のツールド宮古島はDNS」します。(T_T)
これは昨日、決めました。
理由は「遠方であること。助監督もチームメイトもいないこと」です。
万が一、何かあった場合、離島は大変だし、仲間がいないと、悲惨なことになる、ってのを学びましたから。(笑)
そんな環境で骨折したままレースに出るのはさすがにオトナの判断とは言えないだろうからです。

他はまだ決断したことは「何もない」です。
悪あがきしますし、往生際悪く、喘ぎます。
別にかっこ悪い結果になっても構わないです、今までだって「かっこいい結果」なんて数えるほどしか無いんだもの。

監督から電話ももらいました。
ありがとうございました、ボクは元気です。
オフクロや妹から、さんざんイジられましたけど。(泣)
負けるもんか!でゴザイマス。

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