2016年7月5日火曜日

生き辛い世界

山本太郎とかが「今の世の中はなんて生き辛い世の中なんでしょうか?」と演説したとかしないとか。

ストレスに弱い人は少しの変化にもストレスを感じて辛くなるそうです。
ボクはそういうのに鈍感で。
何時も適当に振る舞って生きてます。
じゃあ「生き辛い」世の中ってのはいったいどういう世の中なんだろう?ってボクなんかは思うわけです。
朝からマクドで熟睡してら
ボクなりの分析をしてみると。
この世界に生きてる人間の殆どは全ての欲求を満たして生きてるわけではないでしょう。
大なり小なり不満を持って生きているはずです。
やりたいことをやりたいようにやって傍若無人な人ってそんなに多くないはずです。
じゃあ世界中の人間が「生き辛い」と感じて生きているのか?問うてみたいです。
言葉で聞いて理解して行動するのが人間ですが。
聞いて理解しても理解できないと行動できないもんです。
目隠しをされて、言葉で「前には障害物はないから安心して歩いて」と言われ。
理解して信頼できれば見えなくても歩けるかもしれない。
でも最初の一歩はすごく勇気がいるしストレスがかかるはず。
「生き辛い」ヒトってのは信頼できる人が居なくて、または他人の言葉を理解しないのか?もしくは信用しないのか?の何れかで最初の一歩が踏み出せずストレスだけを溜めている状態なんでしょう。
そう思うわけです。
でも生き辛さを嘆き悲しんで生きてみても。
その責任の半分は自分という受け側にあるわけで。
他人から「なんて世の中なんでしょう。」と哀れんでもらって、何かがどうにか変わることは無いと思うんですよね。
自分が変わらないと。半分はこっちに理由があるんだから。
そんなわけでボクは山本某っていうのを論破できるわけです。
信用しない。
目隠しされても彼の言葉では最初の一歩は踏み出さない。
そう感じてます。

大英帝国が崩壊するのか、という21世紀最大の「大どんでん返し」を目の当たりにして。
民主主義の限界を見せつけられた思いがしました。
ロシア、中国の様な「偽民主主義国家」の方が調子良く見えてきました。
「みんな平等に話し合って多数決で決めましょう」的な学級会の様な幼稚な世界はもうダメなのかもしれません。
どんなに正論でも多数決で少数派なら常にその正論は圧殺されるわけですから。
政治家は既に政治屋になってるし。
聖職ではなく普通の職種ですから。
彼らは大衆を導く使命があるはず。
ネズミの大群のように崖っぷちに導いてどうするねん?と感じました。
明日はどっちだ?