2015年11月8日日曜日

第27回「ツール・ド・おきなわ2015」

今年から「三大オサーンツール」と(勝手に)名付け。
  1. ツール・ド・宮古島
  2. ツール・ド・北海道
  3. ツール・ド・おきなわ
この3つのロードレースに全てを集中させることにしたのでした。
他のレースはあくまでこの「三大オサーンツール」のための「強負荷トレーニング」のようなものでした。
それぐらいにしないともうこの年齢では思うような成績を収めることはできないと考えたからです。
(他のレースで手を抜くということではありません。)
正直言って「ツール・ド・宮古島」は不本意な成績でした。
もうちょっとやれたと反省してます。
死闘だったツール・ド・北海道を終えてから全てのリソースを「ツール・ド・おきなわ」に集中させてきました。
2014年のレースは70位。
終わってすぐに「2015年は50位以内を目指す。」と宣言していました。
来年はリザルト1頁目(50位以内)に名前を刻みたい!刻むぞ!! (昨年のブログより)
でも簡単に言ったけど難しい。
目指して出来るなら簡単だ、誰でもできちゃう。
目指したぐらいじゃ届かない。
そう考えだしたのは今年の4月ぐらい。
(こんな練習じゃ届かない。)と思い始めたのは7月ぐらい。
(このままじゃダメ)と思ったのは9月後半。
練習内容は何度も見直したし、練習量も増やした。
ツール・ド・ブルベで強度LSDもやった。(LMD)
体重、筋肉量、体脂肪、必死で調整した。
脂質を徹底して除去して喰った、みるみる体脂肪は減った。
後半は野菜とツナ缶とプロテインばっかり喰ってた。(泣)

体脂肪率11%
50位以内は失言だったと思い始めてたけど。
もう広言してたし。
いまさら「できません」とも言えないし。
挑戦するしかなかった。
来年、参戦しようか?と考えている人がけっこうボクのブログを読んでくれてるみたいなので。
しっかり記録を書いておきます。参考になれば幸いです。

10月の月間走行距離は2000km弱ぐらい。
殆どが実走です、ローラーは殆ど乗らなかったなぁ。
沖縄に出かける直前の計測で体重は62kgで体脂肪率は11%だった。
(春は67kgで15%ぐらいだったと思う。)
どちらかと言えば体重より体脂肪率が気になった。
ツール・ド・おきなわは「登り」が過酷だから。
11月6日
沖縄へ向けて出発。
10時前の電車で。
クルマの運転が嫌いなので電車です。(笑)
関空フライトが14時半だったかな。
沖縄に着いたらいろいろ失敗してて。(恥)
相変わらずいい加減なボクだった。
まず驚いたのがレンタカーを2台予約してたこと。(苦笑)
ホテルを予約したときに同時にレンタカーも予約していたのに。
すっかり忘れてしまって、出発直前にまたレンタカーを予約してました。(泣)
その他にも食事をすべてホテルで予約していたのに、忘れてて。(笑)
レンタカーで晩御飯を大好きな「うみちか食堂」へ食べにいってしまったりと傍若無人なアルツハイマー。
壁にはゲーノー人のサイン色紙だらけ
小皿180円
大好きな「沖縄カレーそば」800円だったかな。
ホテルに到着したらもう午後9時過ぎぐらいだった。
バイクを受け取って組立作業したかったけど眠かったんで放置して就寝。
この辺もボク・クオリティー。(恥)

宿泊先は「オクマリゾート」です。
100kmレースに出走するならココを選択すべきですネ。
色々便利です、なんせ公式な集合場所ですから。
ロードレースは滞在中の時間もすべて「レース」だとツール・ド・北海道で学びましたから。
いかにストレスレスで滞在できるか?これは物凄いハンデキャップだと思う。
ただし夜遊びしたいとかショッピングとかそういうレース以外の目的があるならオススメしません…
このホテルの周囲にはホテル以外に何もアリマセンから…

沖縄は暑かった…
ボクは事もあろうに所持してた服がぜんぶ冬服。(笑)
何考えていたんだろう?って感じ。
スボンに至っては「ヒートテック・ジーンズ」と言う最新テクノロジーの冬服でしたし。(笑)
暑くてしかたなかった、天気予報で30℃とか言ってるし。
(明日は受付終わったら夏服買おうっと…)とか考えながらベッドに潜り込んだのでした…

11月7日

ゆっくり寝てた。
7時過ぎ、朝食。その後、相棒PARISの組み立て作業。
今回の使用機材 ほぼいつも通り
PINARELLO PARIS
Shimano Ultegra 6800 Di2 (F53T R25T)
SRM Power Meter
Garmin Edge 810
ヘルメットは今回はイエローのOGKモストロ

予定より1時間遅れて10時頃、試走に出かける。
奥のスタート地点からクルマで普久川ダム登り入り口までルート確認するつもりでしたが、出発が遅れたのでめんどくさくなって奥まで行かずにダムの登り口でクルマから降りて登り坂を試走。
目的は最後まで悩んでいたスプロケを選択するため。
当初は28T~11Tの貧脚登り用スプロケで走るつもりだったんだけど。
どうも28T使った時点で負けな気がしてきて。
25T~11Tで走ろうか?悩んでた。
試走で25Tを使って踏んでみた。
結果はコレ。
25Tでした。
(Di2なので変速記録はあとで徹底分析して来年に役立てます。)
試走してるときに何人かの選手といっしょになった。
勝負どころだと判断してる選手が多いのかな。
脚があう選手とお喋りしながら登る。
UKYOの土井選手が昨日すごい速度で登っていった、、などなど。
え?昨日試走してた?昨日から沖縄入りしてるの?と訊ねると、暑さに慣れるため昨日から試走してるんだそうだ。
プロならわかるけど、アマなのにすごい…(汗)
しかし、、、慣れるためってのは必要じゃないか?って思うぐらい暑い…
10時でこの暑さ…レース本番はもっと暑い時間帯だ…(汗)
暑さ対策が重要かもしれん…2014年は暑くなかった…いや途中から暑かったんだっけ?
記憶がボヤケるほど暑い普久川ダムを登った…30分かけて…
普久川ダム登り試走を終えたらまたクルマに乗って、今度はあらかじめ「危険箇所」とアナウンスされてた箇所だけクルマで見てまわったのち、受付会場へ行って前日受付を済ませる。
その後、念願だった「夏服」を買いに名護のイオンモールへショッピング。(笑)
なんか予想外の出費だったな。(恥)
ホテルに戻ってからはもう頭の中はレースでいっぱい。
ざっくりとプランを練る。
言っとくけど考えたプランどおりレースが進むわけがない。(笑)
そんな単純なもんじゃない。
コースの特質に対する対応だけを考えるだけ。

スタートはボクは第1シードの選手じゃないので前からは出られない。
100kmはスタートしたらすぐ登りだ。
これが結構キツイ。
っていうか一番キツイかも?ってぐらいシンドイ。
去年までは「ここで脚を使ったら最後まで走れない」って思ってた。
今年は違った。
「奥の登りは一歩も引かない覚悟」だった。
脚を残す、なんて1mmも考えない。
先頭集団に残る、これが再優先だ。
残れないとレースは終わる。
早々に「負け」が決まる。
普久川ダム登り入り口までは「絶対に千切れない」。
そして問題の普久川ダム登り、ここでもリミッター解除。
パワーメーターの数値も見ないことに決めた。(せっかく購入したSRMも意味なし。(笑))
羽地ダム登りまでは単独走行にならないように気をつける。
羽地ダムへの登りで「めいっぱい踏む」。
ここでもリミッター解除。
ここからゴールまではいっさい躊躇しない、と決めた。
だいたいこんな感じ。
あとは出たとこ勝負。
(けっきょく書いてみると、全部全開のような…(笑))

晩御飯はホテルで食べて。
持ち込んだプロテインを無脂肪乳で身体に流し込み、ツール・ド・北海道やツール・ド・ブルベで使った睡眠薬を使って、無理やり午後8時に寝る。
寝不足は大敵だと思ってるから薬に頼ってでも寝ることにしてる。
酒は飲まない。
酒を飲んで寝ると翌日のパフォーマンスは確実に落ちる。
睡眠薬のおかげで夢も見ずに目覚まし時計が鳴り響くまで寝てた…

11月8日(レース当日)

午前4時半起床。
午前5時から朝食。
ホテルの朝食会場には既に多くの選手たちが朝食を喰っていた。
長い一日だ。
朝の5時に飯を食うけど次に食えるのは7時間以上後だ。
それまでまともには食えない。
なので躊躇せず腹いっぱい、めいっぱい食う。
喰えないと負ける。
だから「朝食を食う」のも既にレースなのだ。
朝食会場でパンをいくつかジャージのポケットに忍ばせた。
奥で腹減ったら喰おうと思った。
スタートまでまだ5時間もあるんだもの。
午前7時前、オクマリゾート駐車場から移動車(護送車?)で選手が大移動開始。
急がなくても良いんだけどさっさとスタート地点に移動してバイクを受け取ってウォーミングアップしたかったので急いで乗った。

護送中
バスに揺られて30分ぐらい?で奥に到着。
到着したらバイクを探す。
バイクは別便で送られてくる。
バイクラックを探したけど見つからず、柵に立てかけてあったのをやっと発見。
マイバイクを受け取ったらもうすることがないんで売店前のベンチで座ってボーッとしてる。
まぁ、毎年そうなんだけど、来てる選手、全員が自分より速そうに見える。(笑)
だんだん弱気になる。
そうこうしてるとただならぬオーラを撒き散らしてゼッケン「2001」の岩瀬選手登場。(汗)
少しだけ話す。
岩瀬選手が言うには「50位ぐらいまでは殆ど去年の顔ぶれ」とのこと。
必然的にボクがその中に分け入るってことだから簡単なわけがない。
ますます自信喪失した…
(ホンマにいけるんか?)
ジッとしてたら沈みそうになったんで、仕方なく奥の登りを登ってウォーミングアップ。
2回登る。
適当に汗が吹き出た。
降りたら、みんな並んでた。
でもスタートはまだ先だ。
色んな選手と雑談する。
毎年、会う選手とも話す。
初めての人とも、がんがん話す。
話して不安を紛らわす。
岩瀬選手とも再度話す。
何を話したのか?もう思い出せない。

アナウンスがあってスタートが30分遅れるとのこと。
400名ほどの選手がざわめく。
考えてみれば2年前の出走時間は9時半だった。
2年前より1時間遅くスタートだ。
それでも道路封鎖時間は変わらない。
10時半スタートなら3時間半でゴールしないとDNFかもしれない。(汗)
100km獲得標高1700mのコースを、、、だ。
DNFになるつもりはなかったけど「ひとつの小さな判断ミス」でDNFになるのは間違いなかった。
400人のオサーン集団
ゼッケン順に並ぶ。
第1シードではないので後方からだ。
台湾の選手が数人、日本語ワカリマセーンでシード選手に混ざって前方に並んでいてクレーム発生。
後ろに連れ戻される。
ざまーみろ。
 
カウントダウンで号砲スタートだ。
カウントダウンなんてあったのか?(笑)
いつも突然号砲が聞こえてスタートだったのに。
前方に並べるといろいろ解るんだな。
落ち着いてスタートできた。
クリートも問題なくキャッチできた。
すぐ駆け上がる。
とにかくスペースを見つけて前に出る。
ローリングスタートなんだけど現実には既に臨戦態勢
前へ前へ。
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バトル開始!
でないとすぐに両脇から被せられて後方へ追いやられる。
登り坂をバイクペーサーが25km/hぐらいで登る。(笑)
25km/hなんか自転車だと全力やで。
必死で登る。
クライマーは軽々上がっていくけど、こっちはそうもいかない。
まず自分の位置確保。次に空いたら前へ出てまた確保。
これの繰り返し。遠慮したらアウト

ローリングが解けてリアルスタート。
一気に速度が上がる。
ここでこの日の最大心拍数を早くも記録。(笑)
隣の選手と肘が当たる。
ガチガチのバトルで登る。
一歩も譲らない。
斜行する奴もいた。
吠える。
割り込んでくる奴はアタマで押し返した。
50番手ぐらいだとこれぐらいのカオスは覚悟だ。
また斜行されて前輪をハスられた。
以前なら「すってんころりん」だったけど。
フォーム改造で前輪荷重からBB辺りに重心が変わったボクは耐えることが出来た。

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リミッター解除!
カオスだ。
早くここから抜け出したい。
奥の登りをなんとか千切られずに耐え忍んで、下り坂から平坦へ変わる。
ようやく一息か?と思ったけど。
集団の速度はそれほど上がらず。
プロトンは膨らんだまま。
(もっと速度上げて欲しい)と思って前を見てたけどなんだか牽制?なのか先頭付近では前で展開する様子が見られない。
おかげで登りでキレた選手の幾人かがカムバックしてきてプロトンの人数がまた増えた。
左前方に岩瀬選手が見えた。
岩瀬選手の右側からわざと近接して抜いた。
抜く際にこれまたわざと「ヘイ!」なんて声まで出して。(笑)
チラリと横目で表情を観察したら「お?!」って顔してた。ワハハ。
練習でもボクはめったに岩瀬選手を抜くことなんて無かったからな!

平坦区間、トンネル手前辺りは向かい風でますますプロトン肥大。
危ないんで危険回避で右端で走る。
経験上、右端の方が何かあってもスペースが見つかることが多いから。
(左は窮屈なことが多い。)
トンネル通過。
もうすぐ普久川ダム登り。
岩瀬選手が上がってきた。
(危険回避やな?)
考えてることはわかった。
登り入り口の左カーブは後方は危険。
できるだけ前で曲がるほうがいいはずだ。
(よし、岩瀬選手の後ろに着いていこう。)
すぐ左側からプロトンの前へ上がる。
でも既に岩瀬選手の周囲にはアタック警戒なのか?要人警護のようにたくさんの選手が張り付いていて近寄れない!
ゼッケン番号一桁勢が岩瀬包囲網を敷いてた。(汗)
(ち、近寄れない!)
諦めて岩瀬選手から6番手後ろぐらいで位置取り。
その番手で普久川ダム登りへ突入。
(ひょっとしてこの普久川ダム登りでアタックかかるのか?)
スタート前には岩瀬選手から「あそこは淡々と登る感じっすねー。」って聞かされてたのに?
登りの勾配がきつくなる箇所になると、ボクは耐えられずズルズル後退。
普久川ダムではリミッター解除で走る、って言ってたけどボクがリミッター解除してもこの程度だ。(笑)
プロトンについていくのがやっと。
クライマーと思える体型の選手がガンガン上がってくる。
逆に重量系は必死だ。
岩瀬選手も下がったようだった。
(ここではこれ以上アガらないのか?)と安心したのも束の間…
2kmぐらい?登ってから勾配がさらにキツくなる箇所でプロトンの速度が「ガツン」とアガった。
(うわ!これアカン?!)そう思った。
苦しくなった。
そのとき後ろから左肩をポンッ!と叩かれた。
(え?)って後ろを振り向くと岩瀬選手が「ごくろーさん」ってな顔してボクを見た0.1秒後、物凄い速度で前方へ消えていった…
(速いぃ!)
着いて行けない。
前方でアタックがかかったみたいだった。
集団はあっという間に一本列になり、その3分後には崩れ去った。
もう塊ではなく散り散りになった…
すごい…
これが先頭集団に残る、、というやつなのか。
まったく次元が違ってた。
今のボクにはあのチカラはない。

しかし。
ここで凹んで終わるつもりは無い。
気持ちはすぐに切り替えた。
たぶん、おそらく?あの強烈なアタックに着いて行けた選手は50人も居ない。
せいぜい20人か。
ってことはまだボクの目標には手が届いているはず。
ここからクレバーに走る。)と自分に言い聞かせた。
自棄になって自滅することは避けたかった。

KOMまでは登ったり下ったりでその後に第1補給所。
ボクの予想通り「最悪の危険地帯」だった。
目の前で選手が尻もち着いて道路に座り込んでいる。
どうやら落車したようだ。
アマチュアレーサーはボトル補給なんて芸当はめったに練習できないのでミスる。
そして転ける。
さらに後続の邪魔になり後続が転ける。
これは予想してた。いつものことだ。
まず補給所では多少遅くなっても良いんで速度を落とす
ここで1秒ロスしても大差ない。
次に受け取ったボトルはすぐにボトルゲージに入れて手はハンドルにすぐに戻す。
片手運転でいる時間を極力少なくする。
道路には空のボトルや転けた選手が転がっているんで、まず安全な場所に行けるまで必死で回避せよ、これ鉄則ね。
補給所を過ぎてからゆっくり飲むといい。
尻もちついてた選手は動かなかったんで簡単に回避できた。
あれ、下手に動かられたら轢いてたな…
ボトルは2本受け取る。
水とスポドリ。
予定通り、水はすぐジャージを濡らすために被った。
体温を下げないと…熱中症対策…

今年も補給所過ぎてから車載カメラのスイッチオン。
バッテリの関係でスタート時から映せません、ごめんね。


補給所過ぎたらすぐに右へ大きくカーブ。
ここから下り坂(基調)になる。
3人ぐらい?の選手と飛ばす。
ぜんぜん息が合わない。
速度が出ない。
(こりゃアカン)
と思ってたら左後方から速いトレインが来た。(1:14
慌てて乗り換える。
かなり速い。
(こいつは良い)
ほくそ笑んだ。
先頭の選手が超速い。尋常じゃない。
下り坂で前の選手が中切れしそうなぐらい速い。
時おり先頭を牽く速い選手が後ろを振り返り着いて来てるか?確認してる。
なんて余裕なんだ?
他の選手に訊くと「あの人、藤田選手っすよ。」と教えてもらう。(汗)
元オリンピアンか!
どうりで速い。
(このトレインに乗らない手はない。)
そう思う選手は多かった。
すぐに色んなカテゴリの選手が集まり20人ぐらいのグルペットになった。
先頭は藤田選手固定の鬼牽き開始。
なんて楽?!(笑)
と思ってたんだけど…そうでもなくなってきた。
脚が揃わない…のを察知してか?藤田選手のペースがアガらない。
(ものたりない…)と思い出した。
(もっと速く!)と思うようになり、不本意ながら先頭に出てペースをあげようとしたりもした。
(めったに先頭なんか牽かないのに。)
それでもトレインの速度に満足できなくなったボクは抜け出て先行しもう一つ前のトレインに移ろうと試みた。
必死で前を目指してアゲてみる。
でも行けども行けども前にトレインなんか居ない。
居るのは疲れ果ててヘロヘロになった別カテゴリーの選手ばかり。
あんなのと一緒に走れるわけがない。
しばらくすると結局ボクの速度が落ちてしまい、また藤田選手のトレインに戻る、、これを2~3度繰り返した。(*_*)
(駄目だ、こりゃ無駄足だ。)
そう思った。
(ヒトリじゃ抜け出せない。)
諦めて藤田トレインで過ごす。
登りでトレイン崩壊。
下りで再構築。
この繰り返しだ。
しかし藤田選手もやはり人間。
先頭を牽き続けてて少しずつ削れてきたのか、下がるタイミングも早くなってきた。
そうなるとトレインの中でも「ちょっと不満」なのが幾人か出現。
ひとり、またひとりと、、トレインから離れて単独でアガっていく。
ボクも追随するか?どうか悩んだ?でも何度も単独走で失敗したんで躊躇した。
そんな中、後方から別カテゴリー210kmの選手が数人やってきた。
(こいつらの脚なら…)
と思い、飛び移る。
210km選手を風よけに藤田トレインから離脱だ!
なんて卑怯クレバーなんだ。(笑)
いつものことか。(恥)

ホントは普久川ダム登りに入る前に補給食を入れるつもりだったんだけど。
カオスだったんで入れられず。
平坦区間になってからやっとPowerBar GELを体内に入れる。
これは宮古島で覚えた。
100km走ると必ずエネルギー不足に陥る。
陥ってからでは遅いんで100km走るなら最低3回、できれば4回は補給食を入れることと決めた。

B00PHYH0KW
パワージェル

愛用してる補給食はコレ。
気に入ってる理由はかさばらなくてジャージのポケットに4本~6本は入れて走れる。軽い。
今回のレースも6本持って走った。(4本使った。)

離脱すると、先にアゲた選手に追いついて追い越さねばならない。
まずバルバの選手を抜いた。
次はかなり前に行ってるみたいで見えない。
必死の追撃。
順位をアゲたい。
走ってても同じカテゴリーの選手(ゼッケンの色)ばかり気になる。

宣言してたとおりGarminの表示なんか殆ど見なかった。
そもそも表示してる内容は「出力」だけなんで見ても仕方ないんだけど。(笑)
サイクルコンピューターばかり見てて前を見ないで衝突してる選手も居たしね。(笑)
あんなん最悪や。
コースのあちこちで動けなくなって止まってる選手なんて山ほどいる
しっかり前を見てないと道路に座ってるヤツもいるからね。
立ち往生してる選手に「もうちょっと道路の端に行って」とか声をかけたぐらいだし。

羽地ダムに登る前、もう周囲に同カテゴリーの選手は見当たらず。
210kmの選手ばかり。
脚のあう一団と登り始めるも、すぐボクが先行。
今年はやけに自分が前に出る、出てしまう展開に陥る。
(もう登り区間だからいいか、風、関係ないし。)
トンネルに入るまでにクライマーっぽい選手と二人きりに。
この人、強いや、って思ってたけど、最終的には下りで抜いた。
トンネル過ぎて右折したら短い激坂があって、ここでいつも悶絶するんだけど。
今年も悶絶した。
でも多くの声援をもらいました。
「まんま!がんばれ!」
「まんま!いけー!」
…ちゃんと聞こえてました。
鳥肌でました、感謝します。(1:57:24あたり)

この一番キツイとこ越えたら多少アップダウンあるものの基本的に下り基調で名護市街地へ向かう。
ここからは「プラン通り」。
何も考えないで踏みまくる」だけ。
全身の筋肉をペダルにぶち込む。
1秒を削る、ただそれだけ。
リミッターを外せ、外せ、外せ…
こればっかり頭の中で唱える。
70km/h以上で下り。
その反動を使って登る。
風よけに使えるヤツがいたら使い倒す。
「しゃぶりたおす」というブルベで教わった戦法だ。
(自力以外のパワーを全て使い果たす、というブルベライダーの戦法)

ここまで、先行して逃げた2人の同カテゴリーの選手はすべて抜き去っていたし。
手応えはあったけど。
順位なんかわからない。
まだ足りないのかもしれない。
必死に踏んだ。
まだ先に抜けるヤツがいるかもしれない。
左折して大通りに。(02:07:53あたりから)
少し先に数人見えた。
ゼッケンはわからない。
(同カテゴリーか?)
追跡開始。
向かい風だ。
関係ない。
踏み倒す。
追いつく前に向こうから降りてきた。
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ゴール直前!SPRINT開始!
もう踏むチカラ残してなかったみたい。
違うカテゴリーだった。
(もう居ないのか?)
抜けるヤツがいないのか?
向かい風を40km/h超で踏んでたのでもう辛くなってきた。
そろそろヤバイか?って感じた時、右後方から「ガツン」と抜かれた。(02:15:47あたり)
(お?!速い?)
すかさず、振り絞って後方に張り付いて風よけに。
ゼッケンを見ると210kmの選手だった。
違うカテゴリーなので争うつもりはなかったんで利用させてもらうことに。
でも途中で嫌われたのか?斜行されて威嚇される。
(なんやねん!着かれるのがイヤやったらチカラでねじ伏せて千切れや!)って思った。
気にせず風よけに使いたおす。
ゴール手前まで牽かせる。
300m手前でSPRINT開始。
争うつもりなし、とか書いておきながら、、、ゴール前SPRINTで抜き去りゴール。(笑)
負けるもんか。

ゴールラインを越えた…無事に…
まず「無事」ってのに感謝した。
たぶん大勢、無事じゃないはず。
そんな中、無事に帰れた。
安心してください、無事ですから。
ゴール直後、最初に話したのは岩瀬選手。
「獲った?」と訊くと、ぐいっと親指を突き出して頷いてくれた。
すごい。
また獲ったのか。
自分も嬉しくなった。
その後、助監督と合流。
今年もいろいろ支えてくれた、言葉に出来ないほど感謝してます。

不思議とこの段階では自分の記録はまったく気にならなかった。
自信があったから。
必ず50位以内だと確信してた。
不安はなかった。
(誰にも言わなかったけど。)

50円で入れる貸シャワーを浴び、着替えて、初めて表彰式&閉会式に出席する。
これも自分の記録に自信があったから。
会場に入ると、スタート地点で雑談した選手に再会し「いい成績でしたね!」と言われる。
もう公式記録出てるのか。
リザルトボードを見に行く。
DSC_0812
34位!!

約束したとおり「公式リザルトの1頁目にTeamまんまの名を刻みこむ」ことに成功。

やはりリザルトは1頁目しか価値ないよなー。(笑)
34位はだいたい想像してた順位かもしれません。
感触的にそれぐらいだと思ってました。
結局、普久川ダム登りを終えてから順位を10番ぐらい?アゲることに成功しただけです。
普久川ダム登り終えた順位がそのままゴールまで影響しますね。

11月13日追記:中間地点の順位が公表されてました。予想通り… 普久川ダムKOM地点のボクの順位【43位】。その後の中間地点SPRINTポイント宮城でのボクの順位【44位】でした。)

400人ぐらい出走して、、、完走できたのは80名ほど、、と聞きました。
脅威の完走率20%!!!!!
この完走率だけ聞くと、普通はエントリーするの躊躇しますわなー。(*_*)
2014年も完走率、悪かったし。
来年は少しは緩和されるのかな?

さて表彰式での岩瀬選手…
ひとりだけスマホ弄って離さないヒトが居ますよ!
また勝っちゃいました的な感じ
その頃、ボクは…
脚が攣ってます…
座ってたら何度も何度も脚が痙攣を始め、痛くて耐えられない状態に陥ってました。(*_*)
こんなになるなんて…初体験…ああ痛い…
チームメイトの軍曹と
深谷軍曹は50kmレースに出て、今年も少し足りなくて5位に。
なかなか優勝って難しいよなー。
それを2年連続って岩瀬選手はドンダケやねん?って深谷軍曹と話してました。

岩瀬選手の表彰式が終わったら挨拶だけして会場をあとにしてホテルへ。
真っ黒に日焼けした
翌朝、帰路が早い時間だったんで急いでホテルに戻って帰り支度でした。(*_*)
もう少し時間にゆとりがあれば、もっといろいろ遊びたかった。
それぐらいレース後の開放感に「嬉しさ」を感じてました。

正直、2015年は自分の人生で最高レベルの「ストイックさ」で挑みました。
ここまで「やった」ことはないかもしれません。
また2016年も「ここまでやれ」と言われたら、、ちょっと「即答」できないぐらい頑張ったつもりです。

2013年 157位
2014年 70位
2015年 34位

この順位で行くと2016年は?ってなりますが。
自分がまだ成長できるのかどうか。
いまものすごく不安になってます。
「ストイック」だけでは今年は越えられないでしょう。
来シーズンは「ストイック」を越えるナニカが必要。
それを探さなくては…でないと「自分史上最速最強」は目指せない。
今はまだ目標は広言しません。
でもまだ自分史上最速最強は目指します。
これがボクの命題だから。
これがボクがロードバイクに乗る理由だから。

「勝ち負け」には拘ってません。
「勝ち」にしか拘ってませんので「負け」は興味ないです。
「負け」にはどんな意味もないから。
この年齢のオサーンが青春ドラマ演じれるわけがない。
「負けても精一杯やった」とか「やるだけやったから満足です」なんていう高校野球みたいなセリフは言えない。
自分の限界を越えていつまでも自分史上最速最強で在れれば良いと思うけど、いずれ越えられなくなる。
そこまでが自分への「挑戦権」。
この権利を早々に放棄するつもりはまったくない。
そんな「負け」に意味はない。そんなつまらない人生にしたくない。

また闘おう。
勇気を振り絞って。
ペダルを回そう。

そんなことを考えながらの帰路の飛行機機内でした。
またね!オキナワ!