2016年11月13日日曜日

ツール・ド・おきなわ 2016

ツール・ド・おきなわ 2016


11月11日
ツール・ド・おきなわ出走のため沖縄へ出発。
午後2時ぐらいのフライトで15分ぐらい順調に遅れて沖縄へ到着。
例年通りの行動パターンで6時頃からレンタカーに乗って那覇を出発。
奥間に向かう前に宜野湾の「うみちか食堂」で晩ご飯。
自撮り
20161111192803_1
店内撮影して遊ぶカメラマニア
晩ご飯が終わる頃はもう午後9時ぐらいだった。
急いで奥間へ。
ホテルへ到着したら午後10時、もう眠かった。
11日は移動だけで一日が終了。
これも例年通りの行動パターン。
バイクとか荷物はホテルに届いていたんだけどこの日は受け取らず、何もしなかった。
その他の出来事は以前に書きましたのでそっちを参照。

11月12日
たぶん午前7時ぐらい起床。
朝ご飯を食べて(オクマリゾートの朝ご飯は美味しい)バイクの受け取り。
今年はホイールバックも宅配便で送ったので機材関連は全て運送便。
代わりに手荷物はほぼ電子機器でした。
(デジタルカメラとかコンピュータとか)
年々、ツール・ド・おきなわに持ち込む機材が膨大になってきてる。
そのうち機材車を手配するようになるんじゃないか?と危惧するぐらい。

バイクの組み立てを黙々と10時頃まで。
心拍センサーが見当たらない。
スプロケットを一瞬間違えた!と焦る。
よく見直したら25Tで間違えてなかったと、、なんで28Tに見えたんだろう?
一瞬、身体が凍り付きました。(笑)
いつもそんな感じでバイクが組み上がるまでに2~3度は背中に汗をかきます。
11時ぐらいにバイクを積んで試走へ。
まぁ、この辺は先にブログに書いてるので、、割愛しますけど。
普久川ダム登りを趨ってみて、最初に感じたのは「暑い」こと。
気温差が激しすぎだなぁ、と。
真冬から真夏にの環境下で身体が暑さに慣れてなくて、坂道をけっこうな強度で登ってもなかなか汗が出てこなかった、むしろスプロケットを勘違いした時の方が汗が出てた。(笑)
KOMを過ぎた辺りからようやく汗が沸いてきて、良い感じになった。
調子は良かった。悪くないと感じた。
イケるんちゃうん?と上機嫌で試走終了。
あとは前に書いたブログ参照

VAAMさんのことは以前に書いたとおり。
今年はVAAMさんからスポンサードされてました。😀
ありがとうございます。
目標は書いたとおり。
あとで後悔することになりましたけどね。
要は「去年の順位である34位以上を目指す」ということです。
必死で練習してきたし。
8月から毎月約2000km走って約22000m登ってきた。
早く言えば「空いてる時間はすべてトレーニングしてきた」つもり。
これでダメだったらえらいこっちゃ!って感じ。(笑)

こんなのがWebに掲載されたりしてたし。💦

でも去年より「アガらない自分のモチベーション」に火を点ける良い燃料になったのは間違いないです、VAAMさん、産経デジタルさん、ありがとうございました。
産経デジタルの松尾さんにインタビューされてるの図
インタビューなんかされたりして芸能人気分でしたね。(笑)
下半身がステテコなのは秘密です。😬

正直、前にも書いたけど今年はマインドコントロールに苦しんだ。
というのも去年は「シード権を獲るぞ!」と息巻いて頑張って、必死の思いでシード権を獲ることに成功し、そのまま「抜け殻状態」になってしもた。
結果、2016年は目標を見失っていたんだよねー、情けない。
VAAMさんのが良いきっかけづくりになって火が点いたのは間違いないです。

11月13日

レース当日。

午前4時半ぐらい起床。
眠剤が効きすぎたのか?起きたらクラクラした。
レース前はなかなか寝付けないので眠剤に頼るんだけどちょっと量が多すぎたか?次回から反省して量を見直すことにする。
でもよく眠れたと思う。
5時、ホテルで朝食。
この辺はホテルの計らいがうまく出来ていて、出発前の絶妙なタイミングで朝ご飯を食べさせてくれる、このノンストレスのためにオクマリゾートに宿泊してるようなものだなぁ、感謝。
(それなりに値段もするけど。)
食べ終わってしばし休息したらレースバイクをトラックに積んで、護送車のバスに乗せられて、スタート地点の「奥」に運ばれます。バスの中では大勢のライバルが乗ってるんだけど、殆どみんな無言で不気味な時間です。眠いし、緊張してるし。
押し黙ったオサーンたちが満席のバスの中でじっと宙を見つめたまま座ってる状態を想像してください。
奥共同売店に8時前に到着。
ここからスタートまでの時間が長い。
することないし。
奥でボーッとしてるの図
バイクを受け取ったら取り敢えず、座るところを探して座り込んでボーッとしてます。
そのうちに軍曹がやってきて、いっしょにウォーミングアップで「奥の登り」を走る。
心拍計がないのでいつものアップになってるのかどうか?わからないんで念入りに走ることにした。軍曹はスタート位置確保のために1度だけ登っただけで終了。
ボクは3回登った。
9時を過ぎるとプロレースのアナウンスが来たのでコースクリア。
アップを止めてレース見物。
今年はプロのレース展開が早めに決まってたみたいで逃げの選手が通り過ぎるのを応援した。
メインプロトンは観てなかった、自分のことで精一杯。
国際女子レース、100kmOver40、100kmUnder39の順にスタート。
僕ら(40歳以上のオサーンども)はおよそ10時頃のスタートだと告げられた。
国際女子が出てからモソモソと並び始める。
この辺はシード権持ってるから焦らずに準備できる。
スタート10分前とアナウンスされてから数分後に「5分早めます」といきなりの告知。(笑)
みんな笑ってた。
10分前のアナウンスの次がいきなり1分前になってた。
スタート直前
後ろの方に並んでた選手は何が何だか?わからなかったんじゃないだろうか?と心配したけど、どうしようもないしね。
100kmレースはいつもこんな感じだし。
そしてスタート数分前にパンクした選手もいた。
泣くに泣けないな、ああいうのって。
時計は止まらないし。
シード選手で台湾からのレーサーだった、パンクしたの。
可哀想だった、もの凄い顔してた。💦
今年は後方カメラも加えてスタートからゴールまで全収録だよ!
スタート。
すぐに奥の登りが始まる。
密集されたプロトンで位置取り合戦。
早めに自分の位置を確定させないと右へ左へ移動してたんじゃ危なくって仕方ない。
「ボクはここ」みたいな存在感が必要な時間帯。
今までのように後方から攻めて前に位置取りする必要がないだけでも安定して登れる。
ただし後方から矢のように上がってくる選手には注意してた。
頻繁に声を出して存在感は出したつもり。
例年だとかなり登ってからリアルスタートになるのに今年は審判が焦ったのか?
「はい、ここからリアルね」ともの凄い早いタイミングで旗を振った。
先頭集団はみな口々に「早すぎない?」と呟いてた。
そんな選手の声など全く気にせず「リアルスタート!」と何度も叫ぶ審判。
「しゃーないな」な雰囲気で踏み出す先頭集団。
一気に加速される。💦
相変わらず「奥の登り」は身体がまだ暖気運転中なのでキツい。
心拍計付けてないけど一気に吹き上がる感じがする。
急な心拍アゲはボクは嫌いなんだよなーと思いつつもアゲてくるものは仕方ない。
追いかける。
ビシビシとあちこちから声が上がる。
(ちょっと窮屈やなぁ)と感じるのは後ろからの上がりが早いから。
密集度がパない。
たまに前輪をハスられながら耐える。
まぁ、この辺は「序の口」だろう。
ここでビビったら前には居られない。
逆に「やったるわ」と闘志がメラメラするぐらいでちょうど良いわ。
登りが終わると平坦になっていったん落ち着くプロトン。
でも大集団のままだし、窮屈なのは変わりない。
右側からどんどん被せてくる。
トンネル手前で打ち合わせ通り軍曹が先頭集団に加わってきた。
さすがだ、この時点で上がってこないと向かい風区間になるんで上がってくるのに無駄な足を使ってしまう。
すぐ軍曹に近づいて「調子よさそうやな!」と声をかけた。
トンネル越えてしばらくは平坦で道も広く、若干の向かい風区間。
ここは風を受けずに脚を貯めておいた方が良いので軍曹に「風を受けずに隠れてろ」と伝える。
軍曹も落ち着いてプロトンを見て走れてたので「やるな」って思ってた。
普久川ダム登り入り口まで40番手ぐらい。
軍曹は10~20番手ぐらい。
左に曲がって登り始める。
(あとでビデオ観たら梅田選手も、ボクの後方で虎視眈々と狙ってたんだっ!)
プロトンが一気に小さくなる。
100人が80人。
80人が60人。
50人とぐんぐん小さくなる。
必死で食らいつく。
パワーメーターも見ない。
限界数値を知ってるだけに見ない方が良いと思った。
途中まで登って「いける」と思った。
去年、千切れた場所を越えた。
まだ着いて行ってる、行けてる。
自分の身体に訊いてみた「まだいける?」
いけそうだ。
着いていく。
300wぐらいで登ってたと思う。
集団は40人程度まで小さくなった。
ボクはまだ先頭集団最後尾でしがみついてた。
よし、最後尾でもいいのでこの位置でダムを越えてやる。
そう決めた。
去年と違ってペースアップがない、牽制してるのか?ボクには好都合だった。
しかし!
急にキツくなった。
登り初めて20分ぐらい。
ダメか、ここまでか。
頭の中に「ダメ信号」が流れ始めた。
ここでオールアウトになると、レースが終わるし。
どうしたもんだ。
悩んだ末、ペースダウンを選択。
悔しかったけど、一気に踏めなくなってしまう。
気持ちで負けた。
でもあのまま踏み続けてても…とも思った。
顔が苦痛と悔しさでグチャグチャになって登り続けた。
ヒトリになった。
第2集団まで落ちるか?
いや、まだまだ、登りが終わってから踏めば戻れるかもしれない。
そう自問自答しながら補給所を越えて、右に曲がって登りを終えた。
もう先頭集団は見えなかった。
(ちくしょーダメか)と喘ぎながら必死で追いつこうと足掻く。
でもひとりじゃそんなに速度出ない。
ダメだ、無理だ、脚を使うだけだ。
独走力にはまったく自信がない。(タイムトライアルが苦手だし)
悩んでるうちに後方の集団に追いつかれて飲み込まれる。
それはそれで好都合だった。
ヒトリで居る時間帯が短い方が助かるし。
前を追いかけるモチベーションのある集団だったのでさらにプラスだと思った。
ところがしばらく一緒に居ると、どうも、ローテーションがうまくいかない。
回らない?即席集団だとよくあることなんだけど、番号見てるとそれなりに強い選手ばかりのようだったので、なぜ上手く回れない、回らない?のかわからなかった。
これだと楽に走れても速くは走れないなぁ、と思ってたら、他の選手も焦りだしていろいろ相談してたみたい。
詳細はわからないけど。
ボクにしてみればどっちみち単独で何か出来るほどの脚が残ってないので、様子を見て、自分の都合に合わせて走るつもりだった。
よくよく観察していると、思惑はそれぞれいろいろ違ったみたいで。
たぶん、協調して、少しでも楽に後半まで行きたいグループと、まだ前を追いたいグループと、何考えてんのか?わからないグループの3つぐらいに別れてるっぽい。
ボクは多数決に合わせて行こうと思ってた。
でも「前を追いたいグループ」に着いていく脚は残ってそうにないなあ、とも感じてたし。
この先にある「羽地ダム」へ入るまでに少しでも脚を残したかったので「少しでも楽に」グループで回すと決めた。
ローテーションは相変わらずぎこちなく、ただぎこちない中でも「こいつが下手」とかいうのがだんだんわかってきて。
うまく回せるメンツだけがだんだん前で展開する時間が長くなってきて。
そのうちに回せるメンツだけが残った、、って感じになった。(笑)
ああいう場合、無駄足ばかり使って回してるのはどうか?と思う。
ボクなんか1秒でも前に居たくないから、先頭にでたらすぐ降りてたし。💦
あの状況だと短時間で回す方が絶対速いはずやのに、男気みせて牽いてくれるのはありがたいけど、あとで辛い。
140kmの先頭2名に抜かれる時、ちょっといざこざがあって。
その後、140kmのメイン集団に飲まれた時に幾人かが一緒に着いてった。
ボクも少しだけ着こうとしたけど、速かったんですぐ諦めて。
その後にきた100km under 39の集団もスルーして。
最後まで同じカテゴリーの選手たちとレースを楽しむことに。(笑)
(実際にはどこにも着いていけなかった。)
頭の中にあったのは、、、たしか先頭集団だけで30~40人居たはず。
それから数人は落ちてきて抜けたけど、その後にまた数人が140kmのプロトンに潜り込んで先行してるはず。
昨年の順位を上回るどころか、、50位以内のシード権すら危ない気がしてきた。😖
(いかん、いかん、しゃれにならん。)
VAAM飲んでそこまで成績下げたら洒落にならんぞ、自分!焦った。
少なくとも一緒に走ってる追走グループ?約20人の中で振り落として前でゴールしないとやばすぎる。
でも周囲も考えてることは同じ。
見渡せばゼッケン番号からみてもボクより格上の選手が多いし。
強敵揃いだと思った。
羽地ダムに差し掛かる。
ここで前に出ないともうダメだろうと判断して、前へ前へ位置を進める。
トンネルを越えて右に曲がり急勾配を駆け上がったところで、大声援をもらいながら小集団の先頭で登り切る。
ここで僕らの集団もかなり小さくなったみたい。
10名以下の小集団になり羽地ダムを降りてトンネルを通過。
ここからはもう急な登りはない。
左折して名護の大通りへ。
イオン坂が終わると、もう思いっきり牽制ムード。
ひとりが先頭に出て鬼牽き開始。
ぴったり番手で待機するボク。
先頭の選手は「くそーくそー」とか言ってる。
なにが「くそー」なのかわからないけど、とにかくボクの後ろも完全に牽制。
残りが少なくなると「牽きます!」とか言った?と思うんだけど、もうヒトリ前に出てきて牽き始める。
ジャージは違うけど知り合いなのか?
この状況が理解できなかったんだけど、ボクには好都合だったんで3番手で突き進む。
左側に国際女子の選手が進路を塞いでて、右に進路を変えたそのときに、アタック開始された。
間髪入れずスプリント開始。
あれ?まだちょっと遠いな。
でももうスイッチ入ったし!!
必死で回すも、、やはりちょっと早かったか?途中で失速し5人ぐらいに抜かれてゴール。
ゴールの瞬間
脚は攣る寸前でしたし。
手はブルブル震えてたし。
まあ、全力出し尽くしました。
ゴールしてからも、一緒に闘った選手と握手し健闘を讃え合いました。
いつもは同カテゴリの選手といっしょにバトルしてゴールすることがなかったので、今年初めてゴール前バトルを経験できてすごく楽しかったです。😀
ゴール後、思わず「楽しかった!」と叫びましたから。(ビデオに収録されてます。)

苦しんだレースでした。
ゴール後も着順は「ダメだ」と思ってました。
目標は達せなかったのは感じてた。
問題は「シード権」だったです。
50位以内が欲しかった…
DSC_0176
シード権内ギリギリの45位
正直、結果を知った時は悔しくて目の前がくらくらしました。
結果はなんとかシード権獲得の「45位」
頑張ったつもりだったのですが…遠く及ばなかった。
現実は厳しいなぁ、としみじみ思いました。
2034」というゼッケン番号の持つ意味をしみじみと感じ、想像以上に厳しかった、というわけですね。
20161112143321
2034
レース後、50円でシャワーを浴びて、、、産経デジタルさん&VAAMさんに「レース結果報告」へ。
敗戦の弁を述べるボク
敗戦インタビューでした。(苦笑)
言い訳のようになりますが
「昨年の順位より下がりましたが、昨年よりタイムは早かったです」と答えました。
そしてそれはちゃんと証明できます。

去年の公式記録 3:24:28.083 平均速度29.34km/h (34位)
今年の公式記録 3:16:28.416 平均速度30.53km/h (45位)

ですからー!
8分ぐらい今年の方が速くなってるんですよー🙏
かんべんしてください、VAAM様!!
まぁ、「自分史上最高順位」は叶いませんでしたが、「自分史上最速」ということでひとつゆるしてやってください。😓

それにしても、レース終了後の夜は、、、なんだか悔しくて殆ど眠れず。
荒れてました。(苦笑)
でもタイムは縮んでたと知ると、少し気分を良くして、、、次の日の夜からは飲んだくれてました。😅
国際通り屋台村、たのしかったー!
もちろん、来年も来ます。
ボクはまだ上を狙えると信じてます。
また来年ひとつ年齢を重ねるけど、体力や気力はまだ上を向いている、と確信してます。
自分を信じれなくなったらレースから引退しますけど、まだまだ走れそうです。
まじ、今年は初めて「去年の順位より下がる」ことを経験しましたし、ちょっとガックリきました。
いよいよ自分も老人か?と思ってフラフラしたんですが。😓
まだイケる、と今は信じてます。
来年はさらにタイムを縮めて、もっと上の集団に食らい付いてやる、ガオー!!👿

懲りずにご声援よろしくお願いします。🙏

また来るよ!ツール・ド・おきなわ!