2008年12月22日月曜日

アンドリューNDR114

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アイザック・アシモフ

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おそらく2度目のご紹介?
何度見ても名作は名作。
ボクは3度観てもまた泣いてしまったぞ。(笑)
実写版「ピノキオ」という解釈にしたらいいのか?

よくわかりませんが。

「命」と「生命」とに深く切り込んで考えさせてくれる作品。

そういう意味では「A.I」と同じテイストでしょう。

大きく違うのはアンドリューのほうがハッピーエンドでしょう、きっと。



2005年に誕生した家庭用お手伝いロボットが主人公。

購入した家族の家族構成は父母、姉妹の4人家族。

妹が「アンドロイド」という発音ができなくて「アンドリュー」と呼んだことから名前が決まる。

そのときからアンドリューは妹の通称「リトル・ミス」に心惹かれるわけです。



アンドリューとリトルミスの恋は実りません。

時期尚早すぎたわけですね。

リトルミスは他の男性と結婚し離婚し、年老いて死んでしまいます。

アンドリューはそのときこう言います、「愛する人、大切な人が次々と死んでいくのにはもう耐えられない。」と。

彼は「生命」と「死」に直面し、それを超越しようとします。

人間ならそんな挑戦は無駄だと知ってるのですが、アンドリューはロボット故に乗り越えようと考えるわけです。

人工臓器やDNA改良?改造などを試み、リトルミスの孫娘ポーシャを長寿にさせます。(日本語変?)





「人間になりたい」というアンドリューの考えは、今回は「そっとしておいて」

3度目なので色々な視点から観てみました。

アンドリューは死を超越することと「死」こそが「人間」である証明であることを知るわけです。

そして最後には「人間になること」を選ぶわけで、それを選ぶなら必然的に「死」を選ぶしかなかったわけですね。

2005年に生まれて200歳ぐらい?で死んじゃう(停止する)わけなんですが。

「どれだけ生きたか?」なんてのはアンドリューには無意味だったわけで。

裁判官の言葉を聞く必要がなかった、というシーンは「人間である」という宣言を聞くことだけでなく「200年も生きた。」などという言葉すらもアンドリューには意味がなかった、ということも深読みしちゃいました。



「どれだけ生きた」のよりも「どう生きた」かのほうが重要。

これを感じ、また深い感銘をこの映画から受けたのでした、うん、名作。

とここまでがYahoo!映画で書いたボクの評論。
スパブロでは続きを書こうっと。

いくつかの点で何故そうだったのか?解釈に苦しむところもあった。
まず、いろいろな人工臓器を創造したアンドリュー。
自分に「生命」を吹き込んだんだけど。
愛するポーシャとの恋愛の果てに「子供」を創ろう、という欲求は生まれなかった。
なんでやろ?
人間、というか「生物」の「生きる目的」の中で「子孫を残す」という思考はごく当たり前なんだけどなぁ。
アンドリューはそこには行き着くことはなかったわけだ。

まぁ、そんなことはどうでも良いぐらいボクはこの映画が好きです。
そもそも「ロボット好き」ですしね、ボク。
アンドリューのようなロボットの出現を心待ちにしています。

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