2016年10月25日火曜日

疑惑のチャンピオン

7月7日神戸シネリーブルで鑑賞

疑惑のチャンピオン
The Program
2015年 イギリス・フランス 103分

最近はブログに映画の感想文を書くことから遠ざかっていたのですが。
少し前から「書かなくちゃね」と思うようになり。
考えを改めました。(文字数制限とかいろいろあるから)
映画感想文投稿サイトへの寄稿は止めるようになると思います。
よく似てました
主演はベン・フォスター。
すごく似てました、役者バカですね、きっと。
なりきってる感じがしました。
特にランスアームストロングの異常に執着する時の「寄り目」になる習性とかクリソツで驚きました。
モノマネレベルですよね、あれ。


自転車ロードレース好きでランスアームストロングを知らないヒトはまず居ないだろうし。
知らないっていうならロードレースも知らない人間なんでしょう。
それぐらいの人物ですから。
もっと言うなら「ツール・ド・フランス」は「ランスアームストロング」と置き換えても良いぐらいな選手でした
過去形なのは彼の名前はツール・ド・フランスの歴史から消えてしまったからです。

事実を知るまではボクは「如何に巧妙な手口で、さらに最新のドーピング技術で発見されずに何年も王者になれたんだろう?」と思って観ました。
その手口を知りたかったからです。
でも観てるうちにがっかりしました。
何にもすごいことやってないからです。
ありきたりなドーピングだったし。
EPOなんて当時は誰もがやっていたことで、頻繁に発覚されてたし。
隠蔽工作も何のことはない「口裏合わせ」してただけで。
「やってないよ」と言うだけでした。
少し違ったのはランスの異常なまでの「自己中心」と異常なまでの「負けず嫌い」な性格がそうさせていただけで。
周囲もその勢いにどんどん飲み込まれていって。
果てはUCI会長までもが「自転車ロードレース界のためなら多少は目を瞑るべきなのか」と思わせるだけの勢いがあった、というだけのことでした。

いくら考えてもわからないのがコンタドールという選手が現れ、彼と競いたいと思ったのか?現役復帰し、、またレースを走り、コンタドールに負けて、またドーピングしたという彼の「やっぱいつまでも王者で居たい」という子供のような精神でした。
あれをしなければ彼は今でもツール・ド・フランスの神様で居たかもしれないのに。
不思議で仕方ありません。
アシストの選手や世話人からドーピングの事実をバラされて窮地に落ちて、最後は白状するわけです。
テレビ番組で。
そしてランスは今でも全てのスポーツ界から「永久追放」されていますし。
ツール・ド・フランスでは「居なかったこと」にされてしまいました。
全ての記録を抹消されてしまいましたからね。
たぶんあらゆるスポーツ界でも最低最悪の処分を受けましたね。
それぐらいのこともしてるし。

当時のニュースでボクも大変驚いたし、嘆きましたね。
神様と崇拝するほどのファンではなかったですが、やはりどこか憧れてる部分もありました。
それが全部インチキだったんですから。

プロトンの中は特異な世界であることはボクも同じスポーツをやってるので経験してます。
あんな競技はなかなか他にないでしょう。
強いヤツはより強く。
弱いヤツはより弱い立場に追い込まれる。
それがロードレースのプロトンですから。
ランスは性格上、弱者では我慢できなかった。
プロトンの支配者であり続けたかったのでしょう。
そのためなら何でもする、それが彼の生き方、選手としての存在意義だったのでしょう。
それがドーピングという「禁じ手」であったとしても。

それにしても…
コンタドールは似てなかった…