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2015年11月8日日曜日

第27回「ツール・ド・おきなわ2015」

今年から「三大オサーンツール」と(勝手に)名付け。
  1. ツール・ド・宮古島
  2. ツール・ド・北海道
  3. ツール・ド・おきなわ
この3つのロードレースに全てを集中させることにしたのでした。
他のレースはあくまでこの「三大オサーンツール」のための「強負荷トレーニング」のようなものでした。
それぐらいにしないともうこの年齢では思うような成績を収めることはできないと考えたからです。
(他のレースで手を抜くということではありません。)

2015年9月13日日曜日

ツール・ド・北海道 2015

この物語は去年から続いてて。
実は参戦は去年から。
2014年は開幕直前のシマノ鈴鹿の落車で4本の骨折のためDNSでした。
ものすごく残念で。
しばらくはかなり腐って凹んでいたのでした。
持ち直すのにだいぶ時間がかかった。

2015年8月24日月曜日

第32回シマノ鈴鹿ロードレース

というわけで行ってきました、シマノ鈴鹿
ロードレーサーのお祭りですもんね。

毎年、この日にだけ会うレーサー友人もたくさんいるんですもの!
欠席なんてできません。(笑)
チームオフィスにて

2015年6月14日日曜日

第8回ツール・ド・宮古島2015

今年からボクのレース活動は大きく変化して、出るレースを絞り込み、「重要レース」に全資源を集中させる、という戦略になってまして。
これまでのようにクリテとか色んなのに夢中になって出ないようになりました。
その代わり「ボク的三大ツール」を定め、そのレースに全力を注ぐようになりました。
「三大ツール」とは…
この3つのレースは「必ず出よう、そして完全燃焼しよう。」と今年は頑張ってきました。

2015年3月10日火曜日

月曜日はスイム

3月9日の日記

起きたらもう雨。
天気予報では午後からだとなってたのに。
走りたかったんだけど諦めてクルマで通勤。

2015年2月23日月曜日

グロッキー

300km走って
ホテルに戻ってすぐラーメン食べに行って。
喰ったら部屋に戻って速攻でバタンQ。
でも翌朝早く帰るつもりだったんで気絶する前に目覚ましを8時にセットしてから意識を失いました。

2015年1月18日日曜日

2015はJCF登録せずJBCFレースに参加しません

6年前にまんま団長から「走れるレースの選択肢を増やすほうがいいよ。」と言われて誘われたJBCFレース。
昨年まで5年間、走ってきました。
DSC07408.JPG
あ?!まだ有効期間内や!

2014年10月19日日曜日

ジャパンカップ2014

17日の前夜祭でGENさんと監督代行の3人で前祝い?で餃子を食い散らかしたら胸焼けしてさあ大変。
寝てる時も何度も餃子がこみ上げてきて目が覚めた。(泣)
午前5時半起床。
今年は前日まで仕事があって宇都宮入りも遅かったし疲労困憊気味。
バイクも組み立てず寝ちゃってた。
5時半から起きてバイクを組み立て、、ゴソゴソと準備。
タイラップを切るときに失敗して自分の指を切る。(泣)
出血が止まらない。
部屋が血まみれになる。
(やばい)
輪ゴムを指に巻きつけ止血。
バイクで森林公園まで走る。
途中で街宣車に「チームまんまさん!今年は石津さんは来てますか?!」と宇都宮市内に響き渡る音量で呼びかけられて恥ずかしかった。(笑)
朝7時やぞ…(汗)
途中のコンビニでバンドエイド購入。
指に巻きつけ止血。
10枚入りのバンドエイドを購入したのだがこれがあとで役に立つことに…
8時少し前に会場に到着。
8時からと聞いていた受付が既に可能だったのでさっさと受付を済まして監督代行とGENさんの待つ場所へ。
IMAG1808
セッテイングはこれ

2014年6月22日日曜日

第48回 JBCF 西日本ロードクラシック 広島大会

去年の死闘はこちら

燃え尽き症候群か?宮古島の落車の影響なのか?
当初「西日本ロード、DNSしようかな?」という考えがよぎっておりました。
まぁ、実際、左半身怪我だらけ。(擦過傷)
踏んだら痛いときもあったし。
曲げたり伸ばしたりしても痛かった。

やめよっかなー?どっしよっかなー?って宮古島に居る時からウジウジ考えてました。
助監督に相談したら「走れ」ということだったので。(汗)
さて、どこでモチベーションあげるかな?ってずっと考えてた。

2014年6月17日火曜日

第7回ツール・ド・宮古島2014

第7回ツール・ド・宮古島参戦記

午前4時に目覚ましをセットしましたが。
結局、殆ど寝てないと思います。
寝たのか?寝てないのか?ぜんぜんわからないんです。
神経が高ぶったまま横になってる?ので。

4時から5時まで、色々と身支度を整え。
5時になったら周辺を走りにいこうと思ってたんですが。
日の出時間がぜんぜん遅い。
しまった本土と違って遅いのだ。
なんと日の出は5時45分でした。(汗)
しかたなく薄明るくなった5時半にホテルを飛び出てウォーミングアップへ。

20分ほど走って、スタート会場へ。
次のミッションは「できるだけ前からスタートする」でした。

2014年6月4日水曜日

100kmはシンドイの巻

最近は頭の中はずっと「宮古島」のことでイッパイ。
走っていてもついついレースのことを考えてしまい踏んでしまいますね。

そんなわけで「暑さ対策」で毎日100km走ろうと決めたのですが。
3日の火曜日はいきなり気温が下がり、そう暑い日でもなく拍子抜け。(笑)
全然暑さ対策じゃなくなったけど、まあ走ろうということで、野山を駆けまわってました。




いつもの通りNarrative Clipでの撮影です。

2014年5月20日火曜日

19日トレ報告と「サカイ」のこと

堺のことはもう呟いたのでブログには書かないよ。(TдT)
今年はあまりにも不甲斐ないレースのことは忘れたいので書かないことが多いなぁ。(恥)
実は「書きかけ」で放置してるんですよね、公開するのがあまりにもみっともないので。

2014年4月26日土曜日

洗車と整備とBBQ

土曜日の今日、膝神降臨のため安静にすることにしました。
鍼灸院では「普段、走ってないのに急に無茶するからや。」と怒られる。
こんなに膝の筋肉にガタが来るとは思わなかった。
腰も痛いしね。

朝は8時頃目覚めた。
寝たいだけ寝る主義。
目覚まし時計は使わない。

起きてからおもむろにバイク整備開始。

2013年12月2日月曜日

冬の長良川クリテ in 国営木曽三川公園 2013

去年は鎖骨骨折のため、近くの大桑クリニックの病室にて、チームメイトの応援をしてました。(TдT)
(ちょうど手術の翌日だったかと。)

悔しい思いから早くも1年。
あっという間ですね。

去年は走れなかったので今年は2倍走ろう、ということにしました。(笑)

2013年11月10日日曜日

第25回 ツール・ド・おきなわ 市民100kmロードレース 参戦記

去年、ツール・ド・おきなわには参戦していましたが。
50kmレースに出走して、スタートして20分後?ぐらいに落車に巻き込まれ、東シナ海の海の藻屑と散りました。(T_T)
あまりの悔しさにブログも書きませんでした。
鎖骨骨折、全治半年以上かかりました。
この間、何度も挫折を味わい苦労しました。
一時期はシーズン絶望?まで追い込まれてからの復活劇です…

11月8日(金曜日)
午前6時起床
色々、最終身支度を整え午前8時半に自宅を出る。
体脂肪率14%まで絞った。
午後のフライトで那覇へ。
いざ!決戦の地!オキナワへ!
那覇空港でチームメイトの軍曹と遭遇。
お互い健闘を誓いホテルへ。
チェックイン後はバイクの組み立て&整備。
全力で戦う!この愛車とともに!
この日はここまで。
ホテル近くの居酒屋で晩飯。
酒は飲まず。
DSC06427.JPG
ほら!飲んでないよー!!
11月9日(土曜日)
午前5時起床。
6時半にホテルを出発。
試走へ。
本番と同じ時間帯を走るために早朝に出発。
午前9時頃、スタート地点へ。
奥共同売店から試走開始。
スタート地点
気温が知りたかった。
いつもは50kmレースなので早朝スタートで暖かくなる前にゴールで終わっちゃう。
しかし100kmレースは午前10時頃スタート、ゴールは午後1時ぐらいという暑い時間帯。
試走して驚いた。
コースプローフィールで知ってはいたものの、想像以上にヘビーなコース。
(これはレースどころか、走り切ることさえ難しい。)と判断。
さらに暑さ。
気温27度。
コース上は30度越えてる雰囲気。
(かなり作戦考え直ししなくちゃまずい。)
試走に5時間もかかった。
フラフラ、疲労困憊でゴール地点に。
軍曹とナッカンに挨拶。
二人にも「ボクの実力ではレースにならない。」ことを伝え、これまで走ってきた50kmレースとはまったく別物であることを再認識させられた。(汗)

ホテルに戻ってシャワーしてから。
ずっと考えた。
どうやって走り切るか。
スタートしてすぐの2kmの登り。
その後、しばらく平坦が続いてから7kmのダムの登り。
ここまでをどう戦うか?
その後は海岸線に出るまで、ずっと平坦がなく、アップダウンのジェットコースター。
ここはどう我慢するか?
海岸線の平坦区間も休めない、ずっと向かい風が襲ってくる。
ここで、もし単独走になってたら、脚が終わる。
そして最後のダム越。ここまで脚が残せるのか?
あと補給箇所が2箇所。
2回しかボトルがもらえない。もらい損ねると確実にアウト。
水が無くなって動けなくなるだろう。

作戦名「省エネ運転」コード名「卑怯じゃないスレスレで」

頭の中で、試走したコースをもう一度トレースしながら。
様々なシチュエーションで作戦を考えてたら。
一睡も出来ずに午前3時。(笑)
そのままホテルを出発…

11月10日(日曜日)

午前4時、ホテル出発。
集合場所、オクマへ。
午前6時、オクマ到着ここで自転車を預け、バスに乗り込み、奥共同売店スタート地点へ。
午前7時少しすぎにスタート地点に。
ここからスタートまで待機。
待機中
プロレースの先頭が午前9時頃、通り過ぎる。
予定より早いらしい。
アナウンスがあり午前9時35分がスタート時間と決められる。
(いつも100kmレースはプロの時間で左右されるらしい。)
ごそごそ準備開始。
ふと時計を見るともうスタートまで5分きっていた。
なのに何のアナウンスもない。
並んでて退屈だったので写真を撮ると!この直後、号砲とともにレーススタート!
ほんとに35分スタートなのかな?って思ってたら、いきなり号砲が。(笑)
500名の選手が全員驚く。

「ええー?スタートなの?」と騒然としたままレース開始。(笑)
ボクはほぼ最終組でスタート。
まあ、別にいい。自分なりの作戦を着実に遂行するのみ。

レース開始後、すぐに登り。
2km続く。
パワーメーターだけを見る。
ターゲットは250wまで。
それ以上は踏まないと決めていた。
抜かれても気にしない。
後半戦に向けて脚は残す。
淡々と250w付近で2kmを登る。
それでもかなりの人数は抜いた。
下って平坦路、海岸線へ。
ここはプロトンに入り、体力温存。
前には出ないつもりが、予想以上にペースが遅い。
いつの間にかプロトンの前方へ。

ここで争うつもりはまったくないので、下がった。
下がりしなに「先頭集団はまだだいぶ先ですか?」と訊くと、かなり先で、もう追いつけないと聞いたので、ここでレースとしては終了。(笑)

ここからはいかに安全に落車に巻き込まれないように走るか?に全神経を集中。
「カメラや観客にピースマークしてるようなヤツの側に近寄らない。」
「フラフラ走ってるヤツに近寄らない。」
「バイクから異音出してるヤツには近寄らない。」
もらい落車は嫌だ。音には異常に敏感に反応してた。(笑)

香港だか?台湾だかのテレビカメラクルーを乗せたワゴンがうっとおしくプロトンの周りを何度も追いかけてきた…邪魔だった…。
(あとで知ったけど香港の選手はほぼリタイアしてるやん…)

左折してダムへの7kmの登り。
ここは220wで登ると決めていた。(省エネ運転)
普段のトレーニングから220w程度でなら30分続けても、まだ脚は残ってるだろうから。
登るとすぐ落車してた、別のカテゴリーの選手か?
その後、土砂崩れで片側通行になってる箇所で140kmレースの先頭集団に抜かれる。
ここも狭いところだったので危なかった。
試走してたのでわかっていたけど、危険予測できただけで、躱すので精一杯。

その後も続く登り坂。
パワーメーターだけ気にしながら登り続ける。
(踏み過ぎたら終わる)と言い聞かせ。
この辺から抜かれることは少なくなり抜くことばかり。
みな、踏みすぎて脚が終わっていったみたい。
何度も「ここで登りが終わりかな?」と思わせる地点から裏切りの「まだ続く登り」で悲鳴を上げていく選手たち。

登ってる途中で突然話しかけられた。
「去年、50kmレースで落車した方ですよね?」と。
聞けば一緒に落車した選手だった。
お互い、50kmレースは怖いと今年は100kmにエントリー。(笑)
互いの健闘を祈り登り坂の途中で別れた。
ボクはそこからも220wで、登り続けた。

最初の補給箇所で予定通りボトルを受け取る。
ここでのボトルは水。もらってすぐ頭からかぶって身体を冷やす。
7kmの登りのダメージを軽減させたかった。
スタート前に用意した水にはまだ余裕があった。
ダムを終えても、しばらくはずっとアップダウン。この辺から急に脚が攣って動けなくなる選手が続出。道端で多くの選手が座り込んでいるのに出くわす。恐ろしい…

米軍基地反対の看板がある箇所まではキツい。
ここからの登りは距離が短いので300wまで踏んだ。
「えいや!」で登って下り坂で脚を休める、という作戦開始。
決して前では牽かない。(卑怯じゃないスレスレ作戦)
登りはメーターだけ見つめて300w程度で踏んで、下り坂はディープホイールのおかげでそれほど踏まなくても十分速かった。
SOYOの24cタイヤのグリップを信じていたので。
下りでも躊躇なく攻めた。


平坦区間に出ると海岸線。
ここでは必ずグルペット(小集団)に入ることを心がけていた。
この頃には100kmレースの選手と140kmの選手が入り乱れていた。
その後、すぐに210kmの先頭の選手が抜いていった。
ひとりで逃げていた…化物だ…恐ろしや。
その後、数分遅れて210kmの追走集団に抜かれた。
30人?ぐらいだった。
早くも210kmレースの勝者は絞られていた感じだった。

ボクはとにかく向い風を避けたかった。
「省エネ運転」で生き残らねばならない。卑怯じゃない程度に節約せねばならない。
3回に1回ぐらいは先頭に出るのをスルーしてた。(恥)
明らかに「そりゃアカンやろ?」って言われない程度は牽きましたけど…

140km選手100km選手入り乱れてローテーション。
先頭交代が明らかに下手な選手も混ざってたし。
先頭に出るとなぜか踏んで千切っていく選手もいた。
挙句の果てにはプロトンの中で口論まで始まる始末。(汗)
「おまえ!ウザイんだよ!」
「悪かったな!おめえもウザイけどな!」
とか言い合ってる…(汗)

(こりゃ、このグルペット、、危ないな。)

危険だと判断。
次に来た登りでこの集団から回避しました。(笑)

このあと、2度目の給水ポイント。
今度はボトルを2本取る作戦。
給水ポイント手前でまず水ボトルを受け取り、それを一気飲み。
半分ぐらい飲み干して、次に水を頭から被り、両足にもかけて冷やす。
これでボトル一本消費。
そして給水ポイントの最後のほうでもう一本、今度はスポーツドリンクを受け取る。
これは飲まずにキープ。
こうして余分に水分を補給することに成功。(せこい)

名護市に突入。
海岸線の最後の?平坦区間。
ここでも10人程度の集団で隠れる。
漢気を見せて前に出るようなことは極力しない。
脚を貯める。
最後のダム越が待っているのを知ってたから。

最後の最後、、、名護市内の大通りに出るまでに、、鬼のような仕打ち、、のダム越があるのです。
ここを抜けるまで脚は残しておかなくちゃ。

眼前に広がる果てしない登り道。
ここまできてコレを登るのか?と呻きながら選手がキレていく。
この中をボクはひたすら「250wやねん!」とブツブツ呪文のように呟きながら登る。
この登りでは210km選手以外には抜かれてない。
プロで千切れた選手を幾人か抜くほど、頑張って登った。
ダムを越え、下りに入った。

210km選手の集団に混ざって降りてると、「この集団でゴールまで行きたい?ビールおごってくれたらいいよ!」って210km選手に笑われた。(汗)
この段階でジョーク飛ばせるんか!バケモノやー!
このジョークに凹んだボクは千切られた。(恥)

ダムを終え…
名護市、、イオンの大通り。
片側三車線を通行止め。
もう単独走。

ポツリポツリとしか選手は走ってない。
自分と同じカテゴリーの選手を探す。
前方に2人、確認。
後方にはいない。

(あの2人は抜く。)

そう決めた。
必死で踏む。
もうパワーメーターは見ない。
前の選手だけを見る。
ここでも作戦遂行。
たいていの選手は単独走だと道路左端を走る。
その横を通過して抜くと、後方に張り付かれてゴールまで牽き連れて行ってしまう可能性が大。
これを避けるには「気づかれずに抜いてしまう。」ことが大事。
このためボクは三車線道路の一番右端を走り、ガツン!と踏んで抜いた。
選手はほとんど左端で、疲れ切って下向き加減の目線で走ってるから。
三車線右のボクが視界に入る頃は、もうボクは15mは先を走ってる。
そこから追いかけてくる気力は生まれまい。
この作戦はドンピシャで当たり。
前を走る2人はこうやって抜き千切った。

最後にゴール手前で同一カテゴリー選手をひとり補足。
ゴール手前1kmで後方に張り付いた。
前の選手も張り付かれたのに気づいている。
どう躱して抜くか?
ここからだとスプリント勝負か?
そんな力、残ってるのか?
前を行く選手も完全にボクを認識してる…
さて、どうする?
しかし…残り1km過ぎると観客が多く、声援もすごい。
ここで姑息な手段を使うわけにはいかない。(笑)

(真っ向勝負や!)

残り200mの看板の地点と同時にギアを2つ落とした。
DSC06488.JPG
750wのスプリント
踏んだ。
一気に抜いた。
追いかけてくるのがわかった。
けど、さらに踏んだ。
音が消えた。
DSC06489.JPG
ゴール
うまく刺せた。
そのままゴール。
ゴールラインを越えて脚を止めたら、急に両足とも激しい痙攣に襲われた。
そしてバイクから降りると、上半身も痙攣しだした。(汗)
(ああ、脱水症やね…)
あれほどボトルの水は注意してたんだけど、ゴール手前5kmで底をついてたので、飲まずに我慢してのゴールインでした…
DSC06491.JPG
ゴール直後、痙攣しながら飲みまくる…
やばかったです。
ほんのちょっと、計算ミスしたら、完走できなかった。
恐ろしいサバイバルレースでした。
走行記録です。

使用機材

パワーメーターはStageONEを使用。
computerはGarmin Edge810。(表示はPower Ave 3sのみ)
ギアは前が53~39Tでスプロケが27~12Tでした。
25~11Tでいくか?散々悩みましたが、27Tで正解でした。
ホイールは前後ともEASTON 90TTでした。
これは後輪だけ90TTで良かったかも?でした。
でも下り坂ではかなり稼げたと思ってます。

オキナワでボクを乗せて走ってくれたSOYO!!
オキナワではSOYOのUpstream24というタイヤで走りました。(^^)
普段、練習時もボクは好んで24cという太め?のタイヤで走ってます。
なのでこの24を使うのに抵抗は少なかったです。
チューブラーだと23どころか21なんて使う人も多いでしょうけど。
敢えて24cを選ぶのは「転がり抵抗」より「グリップ力」を選ぶからです。
しかし、たいていの24cでありがちな「転がらない感」はSOYOにはありませんでした。
ケーシングが良いのか?リム側と路面接地側とでは素材が大きく違う感じだし。
(おかげで空気を完全に抜いちゃうとタイヤが撚れてリムから取れちゃうんじゃないか?と。
なので保管時も空気は残して保管するようにしてます。)
転がりもよく、また路面を掴む?感じのグリップ力は高速での下り坂で、アドバンテージになりました。
思い切って駆け下りることができましたよ。
これが21cのような細いタイヤだったら?あんなに思い切ったコーナリングはできなかったでしょう。
(オキナワの舗装は滑りやすいのでも有名だしね。)
バルブコアは外せるタイプなのでエクステンダーでディープホイールにもバッチリです。
ボクは空気圧7barで走りました。
もう少し低くてもいいかもしれません。

ディープホイールで山岳は不利かな?と思ったけど。
Eastonならディープでも結局300gほど重いだけだし。
その分、下りや平地でアドバンテージがあったのは間違いないので、今ではいい選択だったと。
来年は前輪だけは50mmディープでいいかな?って思った。
向かい風の下り区間で2~3度前輪が風で振れたから。

DSC06495.JPG
飲みまくり
出しきったボクは会場に座り込んで、色んなジュースを飲みまくり。
50kmレースで2位に輝いたチームメイトの軍曹と少し話し。
210kmレースに出てるはずのナッカンを探しまくり。
見つからないので「シャワー浴びにホテルに戻ったんちゃう?」という判断ミスをしてしまい。
クルマに乗って那覇のホテルに戻ってしまいました…
このあと、ナッカンが落車リタイアになってたことをLINEで知り、驚き慄きました。
(210kmレース、恐るべし!)


この夜、、、ダイエットでラマダンしてたのを解禁!

肉食獣に戻りました。(笑)
ヽ(゚皿゚)ヽ ガオー!!

また来年も挑戦しマッスル!!

しんちゃん発言集!(笑)

追記:今年もチームメイト、とりわけ助監督にはお世話になりました。
みんながそばに居てくれるだけでとても心強いです。

2013年10月22日火曜日

JAPAN CUP 2013

燃えるような思いで、宇都宮へ行ってまいりました。

3年前の初挑戦から、、、2度目のジャパンカップ。
金曜日の午後から休暇にして、宇都宮へ。


18日(金曜日)


新幹線を乗り継いでの旅程でした。

2013年10月18日金曜日

宇都宮へ

昨夜は、ジムへ行く予定だったのですが。
宅配便が届く予定になってて、待ってたんですが。
なかなか来ない。(汗)
この夜に受け取らないと、月曜日まで受け取れないので。
ジムをお休みして宅配便を待つことにしました。
よって筋トレは休止。
まあ、レース前だし、いいや。


2013年9月17日火曜日

けいはんなサイクルロードレース(中止)

御存知の通り、台風18号のおかげで特別警報になり。
ロードレースどころではなく、「自分の命を守りなさい」になりました。(汗)


起きたらもう嵐でした。(汗)

2013年8月27日火曜日

第30回シマノ鈴鹿ロードレース

今年はいったい何回目の鈴鹿の夏だろう?

いつの間にか「夏の終わりは鈴鹿」になった。
そして、ボクは「オサーンレーサーの甲子園」の「シマノ鈴鹿ロードレース」に挑む。

もう数日前から天気予報では「雨じゃない?」って言われてきた。
雨のレースは大嫌い。(理由は何度か書いてるので省略。)

今年の目標は。

このとおり。
例年との違いは「2時間耐久」をソロで出走し、いつもなら順位に拘らず、参加することに意義がある走りで終えたのですが、今年は「ガチで走る」ことにした。

2013年6月30日日曜日

第47回 JBCF 西日本ロードクラシック 広島大会

今年も電車で広島へ
2013年前半戦の山場、第47回 JBCF 西日本ロードクラシック 広島大会に出走。
僕らのチーム内でもこの「西日本ロード」は別格?の扱いで。
他のレースとは違う「なにか」があって、参戦するレーサーも多い。
+まんま-AO・HANI Cycling Team で18名のエントリーがあって出走は17名。
大所帯だ。
チームはこのレースに向けて何度もチーム練を重ねて各自、能力向上してきた。

ボクに課されたチームオーダーは「無事に完走すること。」だった。