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2017年11月15日水曜日

僕のジロ・デ・イタリア

僕のジロ・デ・イタリア
僕のジロ・デ・イタリア
posted with amazlet at 17.11.15
東京書籍 (2017-11-10)
売り上げランキング: 4,235
沖縄滞在中に読みました。😊
もちろんKindle版です。😀
本を読むならもはやKindleでしょう、紙媒体は旅には相応しくないです。

2017年11月12日日曜日

ツール・ド・おきなわ 2017

レース前日譚はこちら

11月12日 いよいよ今年最後のレース「ツール・ド・おきなわ」だ。
多くのアマレーサーがこの沖縄を最終戦にしていると思うし。
規模とレベルも最終戦に相応しい「熱いレース」🔥だと思う。
っていうか個人的には沖縄が国内レースではダントツだし、他のレースは沖縄のためのレースといっても良いぐらい、って思ってる。つまりアマチュアロードレースは『ツール・ド・おきなわとそれ以外のレース』って思ってる。
それぐらい思い入れがあるのです。
ですが、今年は前述の通り「夏の三連戦」ですっかり腑抜けてしまいました、めんぼくない。
そのせいで最初から「今年は苦戦する」と覚悟はしてました。💀
「やる気」はあるのですが「身体がついてこない」という状態でしたね。
台風などの天候不順にも参りましたしねー。(10月の週末って☔ばっかだった。)
http://www.tour-de-okinawa.jp/
今年でなんと第29回!

2017年10月17日火曜日

オフ間近

10月16日

今日も雨。
もう寝まくってます。😪
毎日、平均10時間は寝てますね。
することないんですもの。(笑)
ロードバイク乗りは3日間も雨が続くと肥るか?鬱るか?その両方か?
そんな感じです。
ローラーはちょっと気分じゃないので乗れないです、Zwiftも課金停止してるしね。
(Zwiftはまた冬期になったら始めたいと思ってます。例年通りですね。)
そろそろオフシーズンが近づいてきました。😀

2017年9月10日日曜日

ツール・ド・北海道 TOUR DE HOKKAIDO 2017

ツール・ド・北海道に参戦してきました。😀

9月10日

そもそもニセコクラシックロードレースで予選通過して南仏まで行くなんて思ってなかったんで。
例年通りに6月時点で北海道にいく予定を組んでました。
んで前述の通り、急遽南仏に行くことになり。
戻ってきて10日後にまた北海道に行く!なんていう強行スケジュールになったわけです。
南仏アルビで燃え尽きて戻ってきて。
時差ボケ大魔神と化し、ようやく日本標準時に戻ってなんとか日常生活が過ごせるようになった途端、北海道へ
まぁ、美味い魚食べて帰ろう、ってぐらい気負わずに来ました。😀
んで数々の失敗を経てレース当日の朝、目覚ましで午前4時に起床。
起きて外でに出てホテル近くのコンビニで朝ご飯を購入。
雨がポツリポツリ降ってた。😭
不安定な天気だと聞いてたけど、、寒いぐらい。
函館競輪場

2017年9月4日月曜日

けいはんなロードレースの応援に

9月3日

今日はけいはんなロードレースの「応援」に。
予定では4時に起きてロードバイクで行く予定でしたが。
安定の寝坊で起きたら7時。(笑)
あきまへん。
自動車で行くことに。😖
大急ぎで準備して自動車でけいはんなに。
クルマで行くのなら、ということで📷やレンズも色々もって出発。😊

2017年8月31日木曜日

時差ボケ大魔神

8月30日

起きれません。
朝は8時半ぐらいまで寝てました。💦
寝ても寝ても眠いです。
まぁ、いつもそうなんですけど。

2017年8月28日月曜日

2017 UCI GRAN FONDO WORLD CHAMPIONSHIPS ALBI FRANCE

Granfondo World Championships, Albi 2017に参戦してきました。
8月27日

午前5時起床。
いよいよ決戦の朝。
前夜はホテルの近くのレストランで夕食を食べ、、食べ過ぎ。
お酒も飲み過ぎて夜中に眼が醒めてしまい、その後はあまりよく眠れず。
目が醒めても食欲も無く(なんだかなぁ?)って感じの体調だった。
二日ぐらい前のちょっと硬くなったパンを千切って食べて。
生ぬるい牛乳で流し込む。
全く食べずにレースに行くなんて自殺行為だし。
スタートは9時少し前?ってぐらいしか知らなかった。
カテゴリー別にウエーブスタートというやつ。
一番若いカテゴリーから出るんだろうから年寄りカテゴリーのボクはほぼ最終のはず。
ゆっくり出かけても十分間に合うと思ってた。
朝ご飯をほぼ食べないことにしたので時間が余ってすることもなくなり。
7時に招集場所へ行くつもりだったけど6時半ぐらいにはホテルを出てしまった。
世界遺産アルビ大聖堂をバックに
既に何人かの選手は来てたけどさすがにほぼ誰もいない招集会場。
アルビ大聖堂がスタート地点。
周辺には観光地らしく多くのカフェがある。
早い時間からカフェなんてやってないはずなのに何故かこの日は選手目当てなのか?カフェが営業を開始ししていた。
早く来すぎたのでカフェでぼんやりコーヒーを飲む。
ご機嫌な老人たちがボクのジャパンジャージを見て近寄ってきて「ジャポン!」とはしゃぐ。
その老人の一人が流暢な日本語で「おはようございます」と嬉しそうに日本語を話し出す。
「2年間、栃木に住んでいました。」というその老人は仲間の老人たちに「日本語が話せるんだ」というのを自慢したいのか?知ってる日本語を全力で話し出す。
ボクの自転車をじっと見て、最後に「がんばってください」と言われて「ありがとうございます。」と挨拶してカフェを後にした。
老人たちはその後もカフェで僕ら、レーサーが集まるのを見て楽しんでいたようだった。

7時を過ぎると大勢のレーサーが集まってきてだんだん周囲が賑やかになってくる。
何処に並んでどういう順番に並ぶのか?さっぱりアナウンスが無い。
ちょっとしたカオス状態だ。
大聖堂を正面にみてヒトツのStreetを占有しロードレーサーが無秩序に集合してる状態。
オーガナイザーのシャツを着たボランティアがゼッケンを見て「前へ出ろ」とか案内してるみたい。
要は番号の若い順に出るみたいだな。
簡単にそう解釈した。
しかし何時にスタートするのかはまったく解らなかった。
ここに来る前に何度もトイレにいったのでボクは助かったけど。
何時にスタートするかわからない状態で待たされてる他の選手はトイレにも行けず大ピンチに。
我慢できずにあちこちで立ちションしてるし、完全にカオス。
(めちゃくちゃやなー)
と思いつつ、待っていると、、ボクのカテゴリの選手たちが移動し始めたのでくっついて着いていく。
いつの間にか大聖堂前のスタート地点に並んでた?(笑)
(不思議だ?なぜボクがこんなとこに立っているんだろう?)
改めて思った。
周囲は身長190cmが当たり前の大男だらけ。
みんな無精髭とタトゥーだらけで筋肉隆々だ。
普段、街でこんな奴らと出会ったら「すっ」と道を譲るだろう、と思う奴らの中にボクが居る。
「オー、ジャポネ」とか話しかけられてもできるだけ聞こえないフリ。
(てめー怖いんだよ、鼻にピアスなんかしてる50歳代ってアカンやろ?)
心の中で叫んでました。
9時少し前、、なんかカウントダウンしてるなぁ?
でもボクの前にもうヒトツ別カテゴリーの集団が並んでるんじゃないの?
ボクのスタートは前が出てからやね?と勝手に解釈してたら。
スタートでした。(笑)
前に200人ぐらいいたんだけどなーって思ったらボクは200番目以降に並んでたみたいだ。
なんてこったい!
急いで前へ上がろうとする。
しかし市街地はかなり危ない。
石畳なところもあるし。
道路は広くなったり狭くなったり。
そもそもパレード走行で市外まで走るはずだから、、、と思ってたけど、200番以降のボクにパレード走行なんてなかった。😢
いきなり全力モード。
そしてカオス。
路上駐車されてる自動車を躱し、いきなり出現する中央分離帯を飛び越え、たまには歩道を激走する根性がないと前へ上がれない。
もちろんそんな根性はないのでずっとプロトン後部で引きずり回されるしかない。
優勝候補のベルギーチームが歩道を走って前へ上がっていくのが見えた。
あんなん、危険すぎて無理やろ。
曲芸か?
一瞬でも気を緩めると「ストップ!!」と集団内で怒号が飛び交い、前が詰まってフルブレーキ。
一瞬でゴムの焦げた匂いが溢れかえる。
そしてまたフル加速。
道幅の変化に応じてストップ&ゴーの繰り返し。
かなり脚を削られる。
ようやく市外に出て道が直線になってからでも頻繁にフルブレーキ。
300人ぐらいの選手が千切れずにプロトンに残っているからだ。
さすが各地の予選で勝ち抜いてきたオヤジども。
ちょっとやそっとじゃ千切れない。
パンクやメカトラブル以外では落ちていかない。
大集団のまま突き進む。
前方では10名程度の逃げが出たみたいだったけど、後方からじゃ、詳細はわからない。
1秒でも脇見したら「ストップ!」のかけ声に遅れて前方に突っ込んで終わるしかない。
10km地点で事前に何度もチェックした「危険箇所」に到着。
それまで広かった道幅が急に狭くなり、平坦だったのが下りになり、下ったところで左折。
さらに左折後、すぐ右折して、今度は10%ぐらいの短い登り。
ここは無事に通過するために少々リスクを冒してでも下りで加速して前に追いつき、曲がり終えて登りに入る直前で道の右端に逃げて登り返しでの衝突に備えた。
案の定、ガシャガシャと変速ミスして急減速して分断されたので、いい感じに前のプロトンで残れた。
ボクが考えた作戦で功を奏したのはこのヒトツだけだったけど。(笑)
少し人数を減らしてもまだ200人以上?居るプロトン。
平地を突き進む。
頻繁にフルブレーキさせられるので怖くてボトルの水も飲めない緊張状態。
はっきりいってキツい。
しかもほぼ全開で走ってる。
まったく緩む気配がない。
(シンドイ)
時速45km/h以上で走り続け、プロトン最後方で頻繁にフルブレーキのストップ&ゴー。
ストレスだらけだ。
右前方に同じカテゴリで走る日本人選手が見えた。
ボクより速い人なのは試走時に一緒に走って判ってた。
何とか彼の位置まで上げたかった。
しかしプロトンにそんなスペースがない。
一度、入り込めたら、もうそこを守り通すことしか出来なかった。
それ以上、前に割り込める余裕なんてなく、前へ上げようとしたら、すぐさま、どこからとなく「STOP!」の怒号が飛んできてフルブレーキさせられてた。

それでも何とか無理矢理前をこじ開けて割り込んだら、カナダ人らしき選手にフランス語と英語で怒鳴られた。
(両方の言語ともわからんわ!)と思ったが、素直に「ソーリー」とだけ一言いったらそれが余計に気に入らなかったのか、わざわざ再度ボクの前に割り込もうと身体をぶつけてきやがる。
何という「負けん気!」これが狩猟民族か。
正直、驚いた。
(謝ったやんけー、コイツ)と憤慨したけど、また英語で何やら怒鳴られる。
どうやら「おめーは自分のラインを守って走れるのか?」みたいなことを言ってるようだった。
とにかく「こじ開けて入る」ことは狩猟民族の闘争心に火を点けるだけなのか?ベリーデンジャラスだ。
そんなことしてる間に、あっという間にまたもやプロトン最後方に落とされる。😖
そして強烈なSTOP&GOで削られていく体力。
フラフラになってきた。
と、、油断したら6人ぐらいの大落車発生。
ちょっとブレーキが遅れた。
(ヤバイ!)
背中に電流みたいなのが走った。
フルブレーキ。
後輪がロックして滑る。
ゴムの焼けた匂い。
今回は完全ストップだ。
クリート外して路面に足を付けた。
道が塞がったけど、さすがに百戦錬磨の奴らばかり、あっという間に復旧。
転けた奴らも手慣れたもので、さっさと路肩に移動してバイクのチェックしてた。
しかしプロトンはここで大きく分断。
(追いつけるのか?)と思った。
もう大概疲れてたし。
ここからドイツ人選手団が隊列を組み始め、前のプロトンを追いかけ始める。
すかさずドイツ超特急に飛び乗る。
(連れて行け!)と念じる。
しかしこの超特急、、乗ってるだけで疲れるぐらいの速度やんか。
必死でしがみつく。
先頭のドイツ人が「もっと回せ」「ローテの速度を上げろ」とうるさい。
前の選手は1秒も牽かないぐらいで交代。
20人~30人ぐらいが高速で回し続ける。
こんな早いローテは初めてやなーと思いつつ、耐える。
そもそも日本じゃ2列縦隊でローテとか交通法で出来ないからなー。
その差がありますなー、こっちでは自転車の縦列走行は2列までオッケーなのだー。
なので、ローテが早い早い。
そして何とか前のプロトンにJOINできたんだけど、すぐ情報がきて、どうやらまだ前にプロトンがあるみたい。
なんと三分割してたみたいだ。
その情報を聞いた時はもう最初の登り区間に突入する直前だった。💦
(こんな疲れ切った状態で10kmの登りはアカンやろ)
もう少しプロトンで平地を走り休憩したかったのに…
最悪のタイミングで最初の登り区間へ。
(アカン…)
もう脚がスカスカになってた。
まだ100kmも越えてないのに。
それでも300w近くでは踏んでた、必死で。
それでもガンガン抜かれていく。
5倍ワットでないとまったく歯が立たない。
ここまで削られた脚で5倍で登るなんて無理すぎる。😬
やっちまったら完走無理なぐらいまで疲弊しちゃうなー。
と冷静に判断。
ここで完全に脱落。
せめてグルペットで…と思ったけど、ここでも居場所はなし。
もう脚が耐えれなかった。
っていうより、このまま踏み続けたら、落車するか?オールアウトで降りるか?まで追い詰められる気がした

第1補給所は予定通りスルー。
ボトル2本あったんで取らなくてもイケると思ってた。
しかし第2補給所では必死。
ここで取れないと完全に熱中症でダウンする。
他の選手も同じ。
補給所にあるオフィシャルが用意するボトルは既に完売。




とまあ、写真のとおりの補給を用意されてたんですけど。
2000人が奪い合うとあっという間に無くなりますわな。
ボクのように最後方からやってくる選手には、無残な空ボトルしか無いわけです、オフィシャルには。😢
しかし!今回はサポートスタッフが4名居てくれて。
第1~第3補給所まで分担してボトルや補給食を渡してくれました、感謝。💖
第2補給所の様子
このレースではPowerBar GELを6つジャージのポケットに入れて走りました。🚴


いつもせいぜい2つも消費すればいいとこだったんですけど。
今回は違いましたねー。
補給所でさらに1つ追加してもらって全部で7つ消費。💦
汗で失われるのは水分だけじゃないですからねー。
指先や脹ら脛が「チリチリ」と痺れるようになったらもう遅いわけで。
30分ごとぐらいにヒトツ喰ってました。

それでも二つ目の山岳に入ると、もうあちこちの筋肉が「チリチリ」と微弱電流が流れてるように感じ始めました。
(いかんなー)と思いつつ。
それでも300wぐらい出さないとまったく着いて行けないぐらい。
まったくタフだぜ、ガイジンめ!

日本のレースと違うのは「タフ」なことですかねー。
日本だと「細さ」と「軽さ」を競う?ような部分がありますが。
ヨーロッパのオサーンはまったくそんなの競わない感じ。
完全に「タフ」を競うオサーンですね。
まさに「速い」より「強い」を意識する感じでした、これは経験しないとわからない感じやなー。
(見た目もタフそうな奴らばかり、殺しても死なない感じ)
生命力と生命力のぶつかり合いを楽しんでるような奴らばっかだな!

第3補給所でスタッフからボトルを受け取る。
耳元で「ゴーゴーゴー!!」と叫ばれる。
ラトビアの選手の後ろに着く。
ゼッケンみたらCategoryが違う。
ライバルじゃ無いのか。
その前にいるイギリスの選手二人が同じカテ。
(よし、こいつらには勝つ)
オフの日に試走したコースまで来たのでカーブや道の凸凹まで覚えてる。
イギリスチームはわからないみたいだ。
(こっちの方が有利やんけ)
そう思った。
先頭交代を即されても、まともには牽かず。
間にラトビアのカテ違いの選手を挟んで牽かせたりしてできるだけ脚を使わずに。
(サーキットの中に入るまで動かない)と決めてた。
サーキット内は風を遮る物体がないので爆風になるのは知ってたから。
脚を貯めてないと勝負できん。
残り10km切ってボトルの水も無くなり。
細かいアップダウンも何とか乗り切り、脚はもう目一杯。
残り5km。
ラトビアの選手はもう御役御免、千切れてもらう。
二人のイギリス人に前を牽かせてじっくり休む。
後ろに何人着いてるんだろう?10人ぐらいかな?よくわからないけどチャリチャリとチェーンの音は聞こえる。
後ろを見る余裕は無かったんでこのままサーキットまで行く覚悟。
サーキットに入るとすぐイギリス人ヒトリが千切れる。
残りはイギリスひとり。
予想通り、サーキット内は風が強い。
前を走るイギリス人はひょっとしたら後ろに居るのはボクでは無くチームメイトだと思っていたのか?特に何のジェスチャーもなく牽いてくれる、ありがたい。(笑)
(300m手前で千切る)
向かい風だったので500mは自信なかったんで300mに決めた。
途中で右からヒトリ、スプリントで抜いてきた。
落ち着いてゼッケンみたらカテ違いだったのでスルー。
しっかり手前で抜いて、ごっつぁんゴール。😊

お疲れさまー
長かったレースが終わり。
安堵しました。
意外にも最初の感情が「安堵」でしたねー。
一つ目の登りの時には「こりゃ最後まで走れるかな?」って思うぐらい凹まされたし、疲弊してた。
そのおかげで第2補給所まですごく消極的な走りになってたし。
残り20kmぐらいでまた息を吹き返した?って感じでした。
それぐらい「最後まで走りきれるかどうか」自信無くなってた、キツい、厳しいレースでした。
ボク程度のレーサーなら「完走するのがやっと」と言うこと、そういうことです。
一緒に戦った愛馬「AZMAX」
「レースを終えて」
ロードバイクはボクの知らない場所に連れて行ってくれる。
オサーンになってから乗り始めたボク。
それまで運動らしい運動なんてしたことなかったし。
今もスポーツは苦手だ。
野球もサッカーも興味ない、どちらかと言えば「オタッキー」なボクに挑戦する楽しさと無限大の可能性を与えてくれた。
エッチラオッチラと通勤で乗り始めた頃、まさか南フランスまで来るとは思わなんだ。(笑)
同時期に始めた仲間でまだ乗ってる奴らは皆無。
50歳過ぎてこんなことができるなんて?続けてて良かったなぁ。
むしろ若い頃より今の方が多くの夢を持つことが出来ている。
自分の可能性を信じられるようになった。
バイクに乗らなければ出逢うことの無かった人達と出会い、お互い切磋琢磨し、競い合って高め合う、そんなことがこの年齢になってもできている。
多くの同世代の奴らはもう初老シルバーライフに突入しているというのに。(笑)
ここから先もまた未知の世界。
でもバイクに乗ってりゃなんとかなる。
これまでもなんとかなってきたんだし、これからもなんとかなる。
ペダルを回してりゃ必ずゴールするからな!😀

もう「次の夢」を描き始めてますよ!!😊
まだまだっ!

2017年8月9日水曜日

仕事仕事

8月8日

8時まで寝てました。
出張で何が嬉しいかというと寝たいだけ寝れることでしょう。
トレーニングはないし。
アポはだいたい10時以降からだし。
赤坂に泊まっていればだいたいどこでも1時間で行けますもんね。
そんなわけで寝坊できるのが嬉しいです。
ゆっくり起きて、、ダラダラとカフェにいって朝ご飯。😀
そんな感じ。

2017年7月21日金曜日

Love Letter From Albi

7月20日の午後5時半ぐらいに

「アルビに来ないか?」とUCIからラブレターが届きました。💖
遂に来たか、というのが第一印象。
戦時中なら「赤紙」のようなもんでしょうけど。
内容を読むとラブレターのような甘い感じ?でしたね。(笑)

2017年7月8日土曜日

ニセコへ

7月7日~8日ぐらいの日記

ニセコへ。

7月7日のフライトで北海道はニセコへ。
ニセコクラッシックへの出走です。🚲
光り輝く「UCI」の文字
初参戦です。
ワールドシリーズです。💦

2016年11月13日日曜日

ツール・ド・おきなわ 2016

ツール・ド・おきなわ 2016


11月11日
ツール・ド・おきなわ出走のため沖縄へ出発。
午後2時ぐらいのフライトで15分ぐらい順調に遅れて沖縄へ到着。
例年通りの行動パターンで6時頃からレンタカーに乗って那覇を出発。
奥間に向かう前に宜野湾の「うみちか食堂」で晩ご飯。
自撮り
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店内撮影して遊ぶカメラマニア
晩ご飯が終わる頃はもう午後9時ぐらいだった。
急いで奥間へ。
ホテルへ到着したら午後10時、もう眠かった。
11日は移動だけで一日が終了。
これも例年通りの行動パターン。
バイクとか荷物はホテルに届いていたんだけどこの日は受け取らず、何もしなかった。
その他の出来事は以前に書きましたのでそっちを参照。

11月12日
たぶん午前7時ぐらい起床。
朝ご飯を食べて(オクマリゾートの朝ご飯は美味しい)バイクの受け取り。
今年はホイールバックも宅配便で送ったので機材関連は全て運送便。
代わりに手荷物はほぼ電子機器でした。
(デジタルカメラとかコンピュータとか)
年々、ツール・ド・おきなわに持ち込む機材が膨大になってきてる。
そのうち機材車を手配するようになるんじゃないか?と危惧するぐらい。

バイクの組み立てを黙々と10時頃まで。
心拍センサーが見当たらない。
スプロケットを一瞬間違えた!と焦る。
よく見直したら25Tで間違えてなかったと、、なんで28Tに見えたんだろう?
一瞬、身体が凍り付きました。(笑)
いつもそんな感じでバイクが組み上がるまでに2~3度は背中に汗をかきます。
11時ぐらいにバイクを積んで試走へ。
まぁ、この辺は先にブログに書いてるので、、割愛しますけど。
普久川ダム登りを趨ってみて、最初に感じたのは「暑い」こと。
気温差が激しすぎだなぁ、と。
真冬から真夏にの環境下で身体が暑さに慣れてなくて、坂道をけっこうな強度で登ってもなかなか汗が出てこなかった、むしろスプロケットを勘違いした時の方が汗が出てた。(笑)
KOMを過ぎた辺りからようやく汗が沸いてきて、良い感じになった。
調子は良かった。悪くないと感じた。
イケるんちゃうん?と上機嫌で試走終了。
あとは前に書いたブログ参照

VAAMさんのことは以前に書いたとおり。
今年はVAAMさんからスポンサードされてました。😀
ありがとうございます。
目標は書いたとおり。
あとで後悔することになりましたけどね。
要は「去年の順位である34位以上を目指す」ということです。
必死で練習してきたし。
8月から毎月約2000km走って約22000m登ってきた。
早く言えば「空いてる時間はすべてトレーニングしてきた」つもり。
これでダメだったらえらいこっちゃ!って感じ。(笑)

こんなのがWebに掲載されたりしてたし。💦

でも去年より「アガらない自分のモチベーション」に火を点ける良い燃料になったのは間違いないです、VAAMさん、産経デジタルさん、ありがとうございました。
産経デジタルの松尾さんにインタビューされてるの図
インタビューなんかされたりして芸能人気分でしたね。(笑)
下半身がステテコなのは秘密です。😬

正直、前にも書いたけど今年はマインドコントロールに苦しんだ。
というのも去年は「シード権を獲るぞ!」と息巻いて頑張って、必死の思いでシード権を獲ることに成功し、そのまま「抜け殻状態」になってしもた。
結果、2016年は目標を見失っていたんだよねー、情けない。
VAAMさんのが良いきっかけづくりになって火が点いたのは間違いないです。

2016年10月27日木曜日

スポーツと健康

ボクは自他共に認める「健康オタク」でしょう。
でもよく勘違いされてるのが「健康のためにスポーツしてる」って思われてるんですよね。
残念なことですが「オオハズレ」ですね。
逆です。
「スポーツで良い成績を残すために、健康になろうとしてる。」
というのが正解です。😀
そういうことです。
頑張る51歳、健康が気になるお年頃
同じ世代のオサーンが集まると、昨今の話題って「健康」のことが多いんですよね。
そういう話題になると決まって「あんたは健康やもんな!あんだけ自転車乗り回してるしな!」って言われます。
確かにそうなんですけど。
「主体がどっちか?」という観点から見ると、ボクはやはり健康は二の次になるわけです。

2016年10月25日火曜日

疑惑のチャンピオン

7月7日神戸シネリーブルで鑑賞

疑惑のチャンピオン
The Program
2015年 イギリス・フランス 103分

最近はブログに映画の感想文を書くことから遠ざかっていたのですが。
少し前から「書かなくちゃね」と思うようになり。
考えを改めました。(文字数制限とかいろいろあるから)
映画感想文投稿サイトへの寄稿は止めるようになると思います。
よく似てました
主演はベン・フォスター。
すごく似てました、役者バカですね、きっと。
なりきってる感じがしました。

2016年10月14日金曜日

VAAMと「ツール・ド・おきなわ」

産経デジタルさんの募集で申し込みまして。
VAAM」を提供してもらえることになりました。
VAAMを飲んで「ツール・ド・おきなわ」に挑戦しよう! モニターライダーを募集
というヤツです。

改めて書きますと。
ツール・ド・おきなわ」の「市民ロードレース100km Over40」に出場予定です。
過去に三度、走ってます。
過去のブログはこちら。

(2013年より前は50kmレースに出てました。)

2016年9月2日金曜日

ツール・ド・北海道 2016

2年前はDNS。(怪我のため全キャンセル)
去年はフル参加。
そして今年は残念ながら1レースのみの開催となってしまいました「ツール・ド・北海道」。(第30回なんですって!)
それでも行く!って決めました。
(けど、1レースのみ、しかも平日開催って敷居高いっす!😣)
風邪っぴきオサーン、怪しく行ってきます

2016年8月21日日曜日

第33回 シマノ鈴鹿ロード 2016

第33回 シマノ鈴鹿ロードに出走してきました。
ほぼ毎年参加してます。
しかし昨年はうまくエントリーできずほとんど走れなかったのですが。
今年は自分の出たい種目にエントリーできてやる気満々だったのですが。
数日前に「さんいん1300」という過酷なことをしてしまい、ヘソから下が満身創痍

(これ?回復間に合うの?)と心配したまま鈴鹿サーキットに行くことになっていまいました。😣
バイクを積み込んで
いざ!鈴鹿サーキットへ!

2016年8月18日木曜日

ほら!鈴鹿じゃないか?!

ということで。
さんいん1300」の後遺症でガタガタのボクです。
齢(よわい)ゲージュー過ぎたオサーンには大変厳しいサバイバルゲームでしたね。
掌が痛くてケツが痛くて足が痛いです。
四日目ぐらいはケツを捨てるか?掌を捨てるか?究極の選択をして走ってました。
つまり下ハン持ってダンシングすればケツは守れるが掌は死ぬ。
逆に掌の荷重を減らしてサドルにどっかりと座れば掌は守れるがケツが死ぬ。
この究極の選択を迫られて走るわけです、どちらかしか守れません。
ボクはケツを守ったつもりでした。
ですが、本日現在でもケツも掌も死んでます。(笑)
工事現場で舗装を削るのに使うドリルを長時間使うと手の毛細血管がズタズタになって感覚が無くなるんですが、アレと同じ症状なんだそうです。
そんな満身創痍な状態のボクに追い打ちをかけるように…

2016年8月2日火曜日

暑い夏

8月1日の日記

午前6時起床。
月初なので早朝会議に全体朝礼。
7時半に出社。
30分会議して8時から朝礼。
午後から?ではなく朝礼終わるとすぐにいったん帰宅して着替えてバイク出勤。(笑)
今朝もタイムトライアルバイクに乗る。

2016年6月12日日曜日

第9回ツール・ド・宮古島2016

第9回ツール・ド・宮古島2016」に参戦してきました。

個人的に年間で「三大・オサーン・ツール(The Important 3Races for Middle Age)」(宮古島、北海道、おきなわ)と名付け最重要レースと位置づけて参戦してます。
力の入れようが他のレースとはちょっと違うのです。
ただし!過去の戦歴はこの宮古島が「最悪」。(去年は脱水症でチーン。)
満足行く走りが出来ないレースが毎年繰り返されていました。(泣)
「今年こそ!」の想いは三大レースの中でも一番強いレースだと言っていいでしょう、そんな熱い想いで参戦したわけです。
神戸三ノ宮駅にて

2016年1月15日金曜日

帰宅

1月15日の日記。

久しぶりに帰宅しました。(^^)

朝は7時40分ぐらい起床。
目覚ましなし。
寝たいだけ寝た。
これは出張時の特典みたいなもんだ。
とにかく今日という日を乗り切れば一段落だ。